合掌:たけちよさん

昨日、偶々図書館に行って、ぴぴさんから、たけちよさんの訃報を聞きました。たけちよさんは、僕より一回り以上も若いけれど、あまりの突然の訃報に驚きました。
豪快で野人そのものと言った人で、オフ会で一度しかお会いしていないが、デビュー作『あの日から世界が変わった ニューヨークGood Bye物語 』に墨字でサインしてもらいました。
初天神近くの飲み屋でオフ会をやったのですが、たけちよさんは大男で短パンを履いて、下駄履きだった記憶があります。(多分)
ニューヨーク帰りのオヤジなのに、何故か放浪画家山下清を彷彿させて、確かバイクで日本の方々を徘徊中だったと聞きました。そして、暫くして富山の居着くことになったのですが、時々富山便りをネットで拝聴しましたが、いつかご無沙汰になっていました。
二作目の『バクダッドからのEメール』について、京都の大垣書店でやっと購入したエピソードをぴぴさんたちに先々週、話したばかりだったのに、もうその頃、たけちよさんは、この世にいなかったのだと思い知り愕然としました。今年の3月頃、ぴぴさんのブログにコメントをしたのを僕も憶えており、まさか、半年後に急逝するとは、合掌。
bk1にアップした『あの日から世界が変わった』の拙レビュー『9・11は、まだ終わらない。』(2003/09/07 )を全文引用します。
今のアメリカの破綻をたけちよさんだったら、どのようなコメントをするのか、聞いてみたかったです。

 黒澤映画の『七人の侍』で三船敏郎が演じたのは菊千代という百姓侍であるが、私は何故か、たけちよと勘違いして、作者は野人菊千代に自らを重ねて、かような筆名でこの本を上梓したのではないかと、そんな先入観で読み進んでいった。
 不思議なもので勘違いの菊千代が違和感なくたけちよ青年に成り果せて、9・11のグランドゼロに立ち会った物語を私は無意識に想像しながら、勝手な読解をしてしまったというわけである。
 だが、そのような間違いは読了した時、むしろ、作者の本質をついた怪我の功名ではないかと、自らを慰めて、ほくそ笑みました。
 無手勝流で振舞う農民侍の役どころは、たけちよさんにぴったりと、思ってしまったのです。
 ニューヨーカーというと、古いと嘲笑されそうですが、ウディ・アレンとか、植草甚一とかで仕入れたイメージで繊細なインテリ都会人を思い浮べるが、それは私の映像や活字でしか知らない無知なニューヨーク像で、実際はたけちよさんの様な逞しい生活人がニューヨーカーと呼ぶに相応しいかもしれない。
 そう言えば、日本の某作家の話で、ニューヨークでタクシーに乗り、運転手と映画の話になり、作家は某俳優のことに言及したら、まさに、運転手がその俳優であった。
「ぼくはスクリーンのあの俳優の車に乗ってニューヨークの街を走っている」。
「これが、ニューヨークなんだ」、その逸話を想い出した。 
 作者はフリーランスのガイドとして、LAを含めて18年間、この街に同化し、住人として生き続けた。そんなタクシードライバー達は彼の仲間であった。そう、ニューヨークの風景を一変させた9・11までは、彼はニューヨーカーとして、様々な人種、民族に混じって、「自由」を「民主主義」を信じることも、その成果を享受することも出来たのである。
 だが、事件以後、ワシントンがアメリカが排他主義の容貌で露出し始める。グローバーリズムの欺瞞が綻び、アメリカ的正義の普遍性は溶解して、だからこそ、星条旗をこれ見よがしに振りかざさずにはいられない。人々の不安がエスナショナリズムに回収されて行く。
 その道行きが感じられる彼の記述である。
 そんなコミュニティが縮小、収縮されていく息苦しさには、野人たけちよさんは、とても堪えきれない。倒頭、ニューヨークを脱出したのである。  
 この本の構成はテロ当日から2001年の大晦日までのドキュメントであり、デジカメで撮った現場の写真も挿入されている。
 彼はこの街で何を見たのであろうか、淡々と語られる9.11以降のマンハッタンの日常は、その場所を知らない読み手にとって、もっと、書いてよという欲求不満が残るかもしれない。漏聞によれば、バイクを駆って日本列島を縦断したり、東南アジア、中東、北東アジアと旅に明け暮れているらしい。 
 ニューヨークを相対化し、アメリカのグローバーリズムの脆弱さ、欺瞞性をこの国の人々に知らせる語り部になって欲しいと、私は密かに期待している。9・11以降のブッシュ戦略は何であったか?
 もう一度、グランドゼロの地点に立ち帰って、この本により、その時、一人の日本人のニューヨーカーがアメリカンでない立ち位置で何を考え、どう振舞ったか、知ることは大切だと思う。

 今年は公私ともに意気消沈の出来事が多すぎる。合掌。