それでも、世界は存在し続ける。/がん哲学外来

落葉 神の小さな庭で 短篇集

落葉 神の小さな庭で 短篇集

2002/10/23にbk1に投稿した拙レビューをこちらに全文コピペしました。
◆【遺言の美しい短編集】それでも、世界は存在し続ける。

 お茶の水の病室の窓から朝に赤富士、夕に東京タワーが息づき始めるイルミネーションの点滅を見た。私の場合は作者と違って意識は明瞭で周りの風景も確固たるものであったが、日野の幻視は〔ありえないもの〕を見る。風景は揺らぎ、夢と現の狭間に漂い存在の不安に苛まれ、日野の狂いを救ってくれたのは、それでも動じない富士であり、東京タワーであった。彼がこの10年間、入退院を繰り返すもかような美しい短編集を上梓出来たのは「それでも、世界は存在し続ける」と確固たる想いに支えられたからであろう。彼は亡くなった。亡くなる前に読了していたが、もう一度、繙いてみた。購入のきっかけはNHKで日野啓三が出演していて、〔ある微笑〕が朗読されていた。ー通院の折、車椅子の日野がエレベーターに乗り込んだ時、老夫婦と同乗となり、扉が閉まると日野はふと、溜息ついた。箱の中に濃密な空気が充満する。言葉は交わさない。短い時間である。でも、彼はひしひしと、老夫婦の存在を細胞の襞まで感じる。ー「人間の一生も路傍の雑草の小さな花以上でも以下でもないのだ。そうとわかり合ったとき、黙って頷き合って、そっと微笑を交わす以上の何ができる?」
 医師は彼に言う。「頭を開いたら落葉が詰まってたよ。とてもいっぱい、どうして、あんなに落葉だったんだろう」ー〔落葉〕
 葉っぱの一杯詰まった老人は〔天国はこのような者の国である〕と幼児達の声を聞く。ーどうやら、「どんぐり」と言っているように聞こえる。それを掌に受け取ると、余程しっかり握りしめていた大切なものらしく、木の実の殻が、うっすらと暖かかった。本当にはそれは何の木の実かわからないが、この児が大切な木の実を私に本気で見せようとして、その好意が自分たちのようにさえ歩けないヘンな老人に伝わったことで、とても楽しそうだった。ー〔神の小さな庭で〕 
 友人の女性写真家にも想いを託す。(中略)葉っぱの一枚一枚は薄く平凡なのに、茂みの奥は豪奢に重い闇で、その闇の厚みが写真展に並んでいた女友達の写真ーベトナム戦争以来、カンボジアポルトポ派の大虐殺、アウシュビッツ、そしてことしはセルビアコソボ自治州での「民族浄化」と、20世紀の主な戦争と動乱の現場を歩いて撮り続けた写真ーの奥に広がっていたひたすらな闇、歴史と人間性の闇の深さを改めて実感させ、闇が神秘の白い花を咲かせ、戦乱の悲惨が彼女の深い写真を生んだような言い難い感動に打たれて、(中略)私は女性写真家の仕事へのかねてからの敬意と共感が、いつのまにか写真家自身への好意に変っていたことに気付くのである。夜の神秘も愛の聖霊も天上的な無償の愛もこの世界にはまだあるのだと日野は呟くー〔薄く震える秋の光の中で〕
 「本当に大切なのは、この私ではなく世界の方なのだ」ーつらいことや腹の立つことが多いけれども、世界はやはりすばらしいし、生きていることの方がいいのだ、といまでは思っている。そうでなくて、なぜ、小説など書くことがあろうか。 ーhttp://www.bk1.jp/review/0000144825よりー

残念なことにこの本は、手元にありません。小説・エッセイ本は出来るだけ地元の病院の図書室に寄贈するようにしています。お世話になったとき読むことも出来るし…w。
僕が入院していた同じお茶の水で、順天堂大学病院で病理を担当している樋野興夫が試行的に「がん哲学外来」を開設して評判を呼びましたが、その報告書とも言うべき本が上梓されました。
『がん哲学外来の話』ですが、関西でもかような「がん哲学外来」を開設して欲しいと思いました。
とても読みやすく含蓄に富む本です。

がん哲学外来の話~殺到した患者と家族が笑顔を取り戻す

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