理想主義の徹底/贈与

現実の向こう

現実の向こう

ぼくのリサイクル本の贈与大澤真幸の理想主義の徹底によるものではなく、単なる身の回りを身軽にする整理整頓の一貫で、等価交換の論理を逸脱する贈与ではないから、ありがたく、リンゴや珈琲やチョコレート、うどんを頂戴して、お腹に入れて消化してしまい、結果として○○減量推進を実行していることになるわけです。
先ほど、これもリサイクル本としてアップしようかと思った大航海55号の『特集現代日本思想地図』をめくって、大澤真幸について北田暁大が論じているのを読んだら、こんな一文が眼に飛び込んだ。

ところで近年、大澤はしばしば法外とも映る「理想主義」を提言している。『文明の内なる衝突』でいえば「イスラム以上にイスラム的」な贈与、『現実の向こう』でいえば北朝鮮難民の歓待・受け入れがそれに当たる。この大澤の姿勢を訳知り顔で「非現実的」「理想主義的」と揶揄するのはたやすい。しかし、彼が目指しているのは、理想主義を徹底することによって理想主義/現実主義の対立を無効化する地点を獲得すること、理想主義の物質性を奪還することであるように思われる。大澤は、等価交換に回収されない「本当の贈与」、赦しを提言するさいに、次のように述べている。

 だが、ここで提起しているのは、規範に関する一致を事実として確認する儀礼としての赦しではない。それとはまったく異なる赦し、規範の一致や共有に先行する真に倫理的な赦しがありうるのではないか、ということだ。(『文明の内なる衝突』p231〜2)

ぼくの本の贈与はそんな「イスラム以上にイスラム的」な贈与ではないけれど、あえて等価交換の論理を逸脱する「贈与」を決断する理想主義の徹底が出来れば、確かに北田暁大に言うように「グローバリゼーションがもたらす現代的な「第三者の審級の不在」を真剣に受け止め、他者ーー「見捨てられた」と感じる人びとーーを生み出す構造を撃つことである。等価交換の論理を逸脱する「贈与」、「規範の一致や共有に先行する真に倫理的な赦し」の提言は、そうしたリアリスティックな構造分析によって導き出されている。まさしく、第三者の審級の存立/失効/擬制のメカニズムを誰よりも深く考察し続けた大澤ならではの「戦術」といえるだろう。」(p97)
ただ、そこまで言っちゃう大澤は、実際に個々具体的に「イスラム以上にイスラム的」な贈与をやってみせるしかないだろうね。
勿論日本政府が定額給付金の2兆円をそんな贈与として費消してもいい。ガザやイラクやアフガンなどの復興支援に使うとか。
そうそう、『文明の内なる衝突』はもらってくれる人が決まりました。この本は読書会でも使ったものですが、大澤の「くじ引き」とか「贈与」がなかなか理解できなかったですね。何か、処方箋がメルヘンの世界に入り込んだ気がして、発想は面白いだけど、多分、ぼくのような人間は「くじ引き」なんかでも受け入れるかもしれないけれど、本当に少数でしょう。笑われてしまう。ぼくは笑わないけれど。