チェ・ゲバラ/金融権力


今日は良い天気だったので、久しぶりに京都三条のマンションの一室にある某古本屋さんに、棚にあった本をセレクトしてバックに持てる範囲内で持参したのに、休みでした。前回行った時は、年始とか特別の日を除いて無休だったのに、いつの間にか毎週木曜日が定休になっていました。ここは業界でも有名な古本屋ですが、あくまで個人からの買取で棚を作っており、原則、市で仕入をしないのです。そういうアウトサイダー的な経営に少しでも肩入れできればいいと、古本はここに持って行くことにしているのです。でも、木曜日が定休日に変更なったということは、何かあったんだろうか。店主は原則、年中無休を自慢にしていたのに…。
がっくりして、肩に食い込むバックが重たかった。古本を処分して身軽になったところで京都の街をウロウロする予定だったのですが、急遽、予定を変更。近くの映画館で『チェ 39歳 別れの手紙』を観る。紀伊国屋の入っているビルの2階のシネコンですが、一日、一回の上映ということで、ほぼ満員。100人近くいたでしょう。
平日の昼間なので、これぐらいの入場者数ならば、御の字ですね。家の近くのシネコンならそうはゆかない。映画が始まる前に隣に座った僕と同年輩の人が同じ年頃の友達と、株の話をしていました。2000万円で買ったものが、今、確定すれば500万円だもんなぁとぼやいていた。その友達が今が買い時じゃあないかとけしかけていたが、女房が金を出さない。まあ、そんなものでしょう。
金融危機でニッチもサッチもゆかなくなったアメリカ型「金融権力のリスクと脆さ」を身にしみる日々には、チェ・ゲバラの止むことのない抵抗は多少の溜飲を下げるものがあるのかも知れない。
図書館から借りた本山美彦×萱野稔人金融危機資本論』は去年の10月11日の朝日カルチャーセンターで行われた対談と、新たに語りおろした対談をまとめ、大幅の再構成と加筆・修正をしたものですが、予想以上に面白い。
僕が疑問に思っていたことを、経済学者、哲学者が全体像を見失わないで個々具体的に歴史的検証をしながら、懇切丁寧に説明してくれる。車中では本書を読んでいました。

金融危機の資本論―グローバリゼーション以降、世界はどうなるのか

金融危機の資本論―グローバリゼーション以降、世界はどうなるのか

追記:朝一にパソコンを開くと、amazonからポイントが送信されていました。グッドタイミングなので、ポイントでこの『金融危機資本論』を注文することに決定!再読してメモとりながら学習するのに最適なテキストです。萱野稔人の対談相手の本山美彦さんは、『オルタ』の最新号特集「恐慌前夜」に巻頭インタビューが掲載されておりますが、そのインタビューを読んで本山さんの本を読みたいと思ったのですが、まさか、萱野さんとの対談本が出ているとは思わなかった。
読んで見ると、むしろ、僕自身が思っていた自明のことがボロボロと壊されるのに、目からウロコの状態になり、今更ながら、僕の経済的無知を恥ずかしく思いました。
それにしても本書は本山さんがリードしている対談ながら、萱野さんって、経済にも詳しいね。金融権力=国家権力は限りなく重なるから、『国家とはなにか』、『権力の読み方』を上梓している萱野さんの知見が本山さんと見事に噛み合ったのでしょう。リサイクルの対象にはならない僕の棚に常備する一冊になりますね。
ということで、図書館で借りて読んだのに、amazonにポイント注文しましたw。