裏表で死者とともに生きる。

bk1の拙レビューを全文引用。書評担当者の人が自分のブログに全文引用するのは構わないと言っているしね。このようなささやかなものではなく、グーグル検索で全文読めるコンテンツがどんどん増えているみたいですね。赤木智弘さんの『若者を見殺しにする国』も読めますね。検索窓に書名を入力してクリックすれば、表示されます。関連文献も表示されているから、本当に便利がいい。
一見、ブック検索は「本屋を見殺しにするグーグル」かぁと思うけれど、上手に店頭でパフォーマンスすれば、win-winの販促になるかも。
双風舎さんは全文公開について二つの理由をあげている。

第一に、できるだけ多くの読者に弊社の本を活用していただきたい、という思いがあります。参考文献やデータとして引用するのもよし。立ち読み気分でのぞいてみるのもよし。近くに書店がない方や、手持ちがなくて現物を買えない方などにも、利用していただきたい。
第二に、ウェブ上で活字を読むのと、本として紙に印刷された活字を読むのとは、次元が異なる行為だと考えているからです。ですから、弊社の本をどれだけウェブ上で公開しても、「もの」としての本が売れなくなるという心配は、あまりしていません。ーhttp://sofusha.moe-nifty.com/blog/2009/03/post-cb5f.html#moreーより

ぶんまおさんの『ボクの哲学モドキ』もアーカイブで殆ど読むことが出来るのだから、ゆくゆく全文公開しても支障はないどころか、販促の一助にもなるかもしれない。
では、拙レビュー。

【生きるとは死者とともに延命する営為なのか】
本のタイトルにしてから、何やらアヤシゲで、トンデモ本かと思いきや、さにあらず、読み進むにつれて身につまされた。というのは、1巻目は1999−2002年にぶんまおというハンドルネームでネットアップされたもので、ホームページのアーカイブで今も読むことが出来るが、ボク自身はちょうどこの頃からネットをはじめたのに、「ぶんまお」さんのこのHPのことをまるっきり知らなかったのです。ひょんなことで、1巻、2巻と読む機会を得たのですが、ぶんまおさんは、ご迷惑かもしれないが、ここにボクの分身みたいな人がいるって奇妙な既視感があったのです。
勿論、ぶんまおさんのような教養と知見がないけれど、感覚的に同質的なものを感じてしまった。だから身につまされるところが多かったのでしょう。どうやら、ぶんまおさんは一流大学で宗教・哲学・思想を講じているらしいけれど、編者の東大末木文美士教授とどのような関係にあるのか、部外者が忖度したって仕方がない。目に見えないから「実体がない」とも言い切れないし、生の末木教授に会ったこともないから、ボクの中でぶんまおさんを実体として感じて読んでもいいわけですが、偶々末木文美士著『日本宗教史』を読んでいて、どうしてもリアルな末木さんの実体は揺るがしようがない。
それに引き換え、ぶんまおさんは、何か風通しの良い例えば、ボクもぶんまおさんの分身2って言っても許されるような乗り心地の良さなのです。帯文でこんなことを書いている。
≪ボクは大学の先生。近所の八百屋のおばさんは、ボクのことをいつも「キョウジュ、キョウジュ」と呼ぶ。なんだかエラそう。でもボクは、自分がどう生きたらいいのかわからない。男でもなく女でもなく、右でも左でもない、自殺に惹き込まれ、死者と共に生きたい。――こんな日々の生きにくさ、違和感を、徹底的に考えてみたいんだ。≫
ボクはキョウジュでもなく、自分がどう生きたらいいのかわからないところまで突き詰めるより「少しでも延命を…」と、病院通いをしているがん患者です。
僕のは「がんもどき」ではなく、正真正銘の「がん」であるから、遺伝子情報のコピーが傷ついて本来正常細胞が実体であるのに、宿主と寄生が逆転して、PSAという数値に一喜一憂して、癌細胞が主人公みたいな日々を送っている。
僕のがんちゃんは、性ホルモンを栄養にして大きくなるから、定期的に去勢注射をしてもらい、「男でも女でもない」身体の状態に保つ処方箋が実践されているのです。癌細胞でない僕の正常細胞も右でも左でもないが、そんな状態では、どうせ死ぬんだからと観念としてではなく実感として身につまされているから、自殺について考えていないです。そこがぶんまおさんと一番違うところでしょう。
2巻で、ボクと同じようなことを言う人が出てきたと内田樹の『他者と死者』をぶんまおさんは取り上げてレヴィナスの他者論を死者論と読むことを提案していますが、僕もそうですそうですと頷いてしまいました。
やはりどこか僕と似たところがある。ひょっとして癌化したぶんまおさんが、僕かなぁと勝手に分身想像してしまいました。
本書は末木さんが編者となって、多少ネットのコンテンツを推敲していますが、始まりの「それは舞子さんから始まった」から終わり近くの赤木智弘に言及する「戦争は始まっている」までの10年分がネット保存されているのも不思議と言えば不思議。ユニークな出版指針を持っているトランスビュー社ならではの英断かもしれない。僕は本を読みながら並行でネットの方も読みました。
哲学するのは、あくまで自分で考え考え抜いて思考停止しない営為であって、確かに哲学者は大学にいないかも知れない。実践する宗教者と宗教学、宗教史を講ずる先生とは別物であるように。ぶんまおさんの違和感は、そうでありながら、アカデミックな場に居つづける自己批評をこのブログで行うことで、宿主と寄生(分身)とのバランスを取ったのかもしれない。
ヒトの身体は60兆個の細胞で出来ているが、その細胞は更新している。更新しながら、当然、癌細胞も出現するけれど、単に2分法で「癌細胞排除」ではなく、仲良く付き合いながら、延命する。それがぶんまおさんの言う死者とともに生きることではないか、どのようなヒトであっても誕生の瞬間から正常細胞の中に傷ついた遺伝子を持つ可能性を宿しているのです。
http://www.bk1.jp/review/0000472609ーより

ボクの哲学モドキ・I 1999-2002

ボクの哲学モドキ・I 1999-2002