アンジェラ・アキ/手紙

マイミクさんが、子どもの卒業式で「手紙」が歌われたという記事をアップしていたが、卒業式の歌を追って行くとやはり名曲が多いねぇ。「卒業」、「旅立ち」って、それだけで、豊饒で哀しいものを含んでいるのでしょう。





フィギュアスケート世界大会の裏でNHKアンジェラ・アキの『手紙 拝啓十五の君へ』の第三弾とも言うべき『拝啓・旅立つ君へ』をドキュメント放映していたのですが、本命はフィギュアスケートを見ることだったので、つまみ食いのようにしか見なかったけれど、現役の中学生たちが、色々と登場して、未来の自分に宛てた手紙を朗読していました。そのあまりにも生真面目さ、痛々しさと、それに共振するアンジェラの語りに長時間正視できぬものがありました。
僕だって、十五の時はあったし、いや、あったんだと言う過去形は正確ではない。今でも十五の僕はこの世界に生きていると思う。六十五の僕が明日いなくなろうとも、世界が存在し続ける予感が僕の中に動かしようもなくあるように六十五のジジィも存在し続けるだろう。
まあ、アルバムの一枚の写真のような頼りないものかもしれないが、記憶は過去のものではなく、未来のもので、語り継ぐことによって、そこまでの強度がなくとも、時として誰かが思い出せば、いや、思い出さなくとも、世界があるように、十五の、六十五の僕も世界を過ぎり、在り続ける。
再放送は4月4日の深夜ですね。「拝啓・旅立つ君へ」
悩みが益々深くなる。でもそれを受け入れる。こういう「まなじり決した叫び」が子ども達から発せられると恥じ入るのは訳知り顔の大人だと改めて思う。