終の言葉

磯崎憲一郎芥川賞受賞パーティーがあったんですね。

磯崎さんの受賞スピーチは、こういう場では場違いに感じられるほど、ストレートでベタなものだった。ベタなことを堂々とベタに言い切る強さというのは、年の功であるとともに、磯崎さんの胡散臭いキャラの力であると思った。磯崎さんは、「会社関係の人や友人、親類を含め八十人くらいの人を招待した、壇上からその人たちの顔を見ていると、生きているうちに自分の葬式を見ているようだ」といっていた。それを聞いて、ぼくの書いた「磯崎論」に足りなかったのは、このような死への近さというか、「時間はすでに限られており、死はすでに目に見える場所にある」という感覚なのかもしれないと思った。(http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20090821

思わず笑ってしまった。こういうことを書いてしまう偽日記さん、この日のためにスーツを買ってしまう偽日記さんのナイーブさに本当にいい人なんだと思う。胡散臭いキャラですか。まあ、僕は胡散臭いキャラは嫌いじゃあない。
「生きているうちに自分の葬式を見ているようだ」
しかし、スゴイ言葉です。