「火の路」の幻視行で、京都

咋夕、京都造形芸術大学内「春秋座」で公演された姜泰煥(alto sax)×高橋悠治(piano)×大友良英×田中泯(dance)のユニットのコラボを全身に浴びるべき出かけましたが、受け手の僕の身体が開かれていなかったのか、それとも、四人の強烈な放射が僕の中で整理されないまま戸惑ったのか、身体と知が僕の中でズレたまま、70分の緊張が持続しなかった。
見せることではなく、見られる。聴かせるのではなく、聞こえる。アーティスト達がこちらに向かって身を投げ出した時、見る側、聴く側も受信装置が全開されていなければならない。そのような至福な出会いは一瞬の出来事なんだろうね。僕らも試されているわけですよ。大ホールではそのような濃密さの空間を維持しがたい、というのもあるかも知れない。
もらったチラシから引用。
「ブレス・パッセージ2009火の路」

 一昔前の日本の家屋は竈を持っていた。竈のことを巷の人はサラマンドラと言った。サラマンドラとは、火を恋いながら太陽の中に棲む火喰鳥のことで、その皮は石綿で出来ているらしい。
 生前、奈良の明日香村に飛んだ松本清張は、今なお残る丘の上の巨大な猿石や酒船石が何処から運ばれて来たのかと推理して、遠いペルシャの国に眼を付けた。石人像の顔はどう見ても日本人ではない。朝鮮人でもない。中国人でもないからだった。かってシルクロードの商人として東奔西走したペルシャ人だったが、それを遥か遡る時代、古代ペルシャの広い信仰を集めたゾロアスター教(拝教)の聖なる火と、火が発する言葉が、日本の仏教にはいってきたのだ。古代ペルシャの瑠璃碗や古墳など正倉院を開ければ一目瞭然のことである。
 人を陶酔させる薬草種ハオマ酒を飲んで、神との会話を可能にする「ハオマの密議」というゾロアスター教の儀式は、今も日本の多くの寺に残る密教護摩焚きの火として残されている。また仏閣に多く見られる蓮の花が放射した模様は、ゾロアスター教の神太陽の放射図を模して仏教の国に入って来たもののようだ。遠い記憶を辿ると、ペルシャと飛鳥を結ぶ路があった。火と火を結ぶ路、その路を松本清張は「火の路」と名付けた。
 http://www.k-pac.org/performance/20090922.html

しかし、田中泯は僕より一つ年下ですが、見事な身体の動きをする。井戸まで掘ったんですよね。
(1)http://www.youtube.com/watch?v=uTz7ouZwm5M
(2)http://www.youtube.com/watch?v=kzXaXdoVSDA
(3)http://www.youtube.com/watch?v=xm5PsHCzf_I
(4)http://www.youtube.com/watch?v=M9mW06VbRyg
公演が終わって、観客席から拍手が起きて、三人はちゃんと舞台に登場して挨拶したが、とうとう高橋悠治は、挨拶に現れなかった。高橋さんらしい。ロビーで浅田彰らしい人に行き会ったが相変わらず少年の体型を維持しているねぇ。羨ましい。
動きつづけてやる! - 大友良英のJAMJAM日記