メディアとしての出版流通

先日、小田光雄さんの論考が掲載されていた2000年の図書新聞スクラップから続けて引用するつもりでしたが、それより、「出版クロニクル 17」をじっくりと読みたいので、引用をやめます。論創社版『出版業界はいかにして消えていくか』で読んで下さい。
ところで、前日の「記者クラブ開放」の報道がテレビでも、新聞でも僕が目にとまるほど大々的に報道されなかったですね。誰かそれに関する、テレビニュースか、新聞記事を目にしましたか?ネットでこんなにも話題になっているのに。なんでかなぁ。
柴野京子さんが『書棚と平台』で論究しょうとしたキモは「出版流通はメディアである」とのアナウンスだと思うけれど、確かに出版業界において、メディア濃度から言えば、出版社>書店>取次で、僕の実体験から言えば、取次がもっともメディア濃度が薄く、その代わり金融機関としての濃度が濃いと思う。
ただ、柴野さんは、アカデミックな手法でそのように金融の側面しか殆ど語られない取次を(1)出版社(2)取次(3)書店と団子三兄弟のように串刺しにして、出版流通全体を通じた「アソートメント」(ばらばらに点在するものを「意味ある集積」に編み上げる)を通じて人々に購書空間としての書店というメディアを提供すると言った大枠の中で、時として悪代官視されててきた大取次を救済している。確かに諸外国の例のない素晴らしい流通システムを二大取次がリードしてきたし、その限りにおいて、再販維持制度・委託制度は誇るべきものであったろう。柴野さんはそのことをアカデミックに説得力を持って記述してくれている。
僕はこの本を読んで新鮮だなぁと感じたのは「取次もメディアなんだ」という気づきでした。
新聞も再販維持制度の問題があるけれど、でも、新聞の専売所はメディアではないなぁ。
昔、新聞の勧誘員が来て、勧誘する方便が「どの新聞でも書いている内容が大差ないから、今度はAからY新聞にしてよ?」ってしつこく言われたが、宅配において新聞のメディア性なんか眼中にないのでしょうね。記者クラブの記者さんもそのような「購読(書)空間」に対して柴野さんのように真剣に対峙していたら、もっと、もっと早く記者クラブは開放されたであろうと思う。
僕は、随分前から、ミクシィで「新聞と本の再販維持制度を考える」のコミュを立てているが、あまり動きがないので、別の人に管理人を譲り渡しましたが、この問題は出来たら「記者クラブ問題」のようにネットであっても表で侃々諤々になって欲しいです。