本屋さん、新聞屋さん、

新聞は生き残れるか (岩波新書)
前日、新聞専売所について書きましたが、「出版流通クロニクル 17」で小田さんは五木寛之の単行本『親鸞』を新聞販売店ルートでも販売することになると書いている。
新聞のメディア環境も「記者クラブ開放」と言い、潮目に入ったのでしょうか。

20. 五木寛之の『親鸞』が中日新聞東京新聞を始めとする地方新聞27紙に同時連載されている。これは12月に講談社から刊行される。だがその一方で、新聞社も単行本を扱い、新聞販売店ルートで販売することになっている。
講談社版は上下各巻1500円だが、新聞社版は1600円で100円高く、そのことで連載時の挿絵40枚が収録され、文字も大きいようだ。各新聞社は11月までに読者の予約を募り、講談社に発注し、つまり新聞社が取次を代行し、新聞販売店に卸すのである。
[ 現在のところ、参加新聞社はまだ確定していないが、これは書店がない地域でも新聞販売店ルートで読者に届けたいとする五木寛之の強い希望があってのこととされている。
来年は親鸞没後750年とあって、各地の百貨店で親鸞展が開催され、講談社も操業100周年の目玉企画でもあり、パフォーマーとしての五木の健在ぶりを示す好例だろう。しかし流通販売に対する五木の異例の提言は、出版危機の影響をもろに受け、作家たちの上に重苦しくのしかかっている暗雲をはらおうとする行為のように映る。
だが講談社と新聞社の正味問題はどうなっているのであろうか ]

僕は2003年にこんなbk1レビューを書いていました。あれから6年ですよ。ここでも結末に小田さんに語りかけていますね。
この時代、出版流通だけにとどまらず、新聞にもリーチを伸ばして流通革命という回路からメディアのより良きディスクロージャー(情報開示)の知恵を小田さんにも期待していたことを改めて思いました。

個人情報保護法が成立しました】
 2001年、新聞業界の総売上げは二兆五千億円である。出版業界は二兆円である。出版物の前年対比売上減が続く中、新聞業界は97年以降、頭打であっても、尻に火が付いていない。一定の売上パイを同業者同士で奪い合い何とかやり過ごしているらしい。
 読売一千万部、朝日八百六十万部と、全国津々浦々にある販売店のインフラはリアル書店がどんどん消えていく状況と比べて、まだ、余裕があるのであろうか。
 この本で提言されているが、売店は地の利を生かして、端末機器を使った街の情報センターにしたり、宅配便、郵便の配達や老人家庭に食料品やお総菜を有料で届ける等、配達をしなくなった書店と違って、色々な可能性がある。ただ、系列新聞社が締め付けているのだ。業界全体が部数減とならない限り、『新聞は生き残れるか』と言っても反応しないのではないか。岩波新書でこのタイトル。当然ながら、話題になると思っていたが、静かなものである。
 報道の信頼性に関するフォーラムは紙上でも論壇でも賑やかであるが。 
 もっと新聞業界の現場を検証し、立法、司法、行政と並ぶ第四の権力として、われわれに疑惑の目を向けられる局面の多くなった大マスコミの護送船団方式の解体、再生の如何にを問うフォーラムが紙上に登場してもよいのではないか。
 例えば、再販問題、記者クラブ問題は格好の叩き台であるが、積極的に取り上げない。メディア問題を読者は関心を持っているはずである。だが、今国会で個人情報保護法が成立した。
 意外と世論が盛り上がらなかったのは「報道被害」についてのマスコミの自己批判のなさに冷たい目を向けていたからではないか。その辺りの事情を引用してみる。 
 ー新聞批判に質的な変化が起こり、重苦しいものになった、と気づいたのは九十年代の後半、それも終わりのころだった。(中略)テレビがあるから、インターネットがあるから、という無読者層も増え続けてはいた。これはこれで新聞にとっては大変なことだが、しかし、彼らは新聞から離れていったものの、新聞を憎み、声高に敵呼ばわりするようなことは、まずなかった。(中略)/それが変った。同じ仲間だと思っていた読者が「報道の暴力は許さない」と言って、はっきりと背を向けだした。(中略)私自身、新聞は弱い市民に代わって権力と向きあってきたと信じていたし、読者もそれゆえに支持してくれていると思っていた。そこにあったのは昔ながらの<権力>対<新聞(背後に市民)>の構図だった。しかし、人権意識の高まりにつれて分かったのは、読者は「新聞イコール市民」などとは全然考えていない、ということだった。次第に<新聞>対<権力(背後に市民)>という空気さえ出来た。ー
 個人情報保護法が市民と言われる人々を実際に守ってくれるかどうか分からない。しかし、少なくとも、森元首相会見指南事件に窺われるようにマスコミも同じ穴のムジナと人々に思われている節がある。だからこそ、メディアリテラシーといった読解力を身につけようと、健気な読者は苦心惨憺しているのだ。無関心なわけではない。彼等が「無謬性の神話」から脱却して、勇気ある責任のとれる言論人としての矜持があれば、時に間違ったことを言っても、読者の信頼を勝ちとる事が出来る。
 この本は朝日新聞社0Bの新聞人に対する警鐘の書であるが、出版業界の佐野真一小田光雄の警鐘の書に比べて、穏便で余裕がある。危機はまだ先という認識があるのであろう。 
http://www.bk1.jp/review/00002139272003/05/26 16:27:00

>危機はまだ先という認識があるのであろう。
6年経ってやっと、認識が変わったのでしょうか。「記者クラブ開放」はそんな未来に開かれた出来事だと理解したいものです。