<官が捨てた図書館を民のちからで再生させる>


エル・ライブラリーが開館一周年を迎えたのですね。
橋下知事に捨てられ、よく頑張りましたよ。意地ですねぇ。意地は男とか女とかは関係ない。
これからも意地を突き通して欲しい。ご当地ミニコミ誌『月刊島民』で連載されている上方講談師・旭堂南海の「シマノネタ」という記事を愛読しているのですが、今回の第十一回『市民の学問所「懐徳堂」』Vol15も面白かった。

「妙な看板が上がりましたな。ここは確か醤油商いの道明寺屋さんの隠居所と違いましたかな」「そうですな。『懐徳堂』とありますな。懐に徳ですか…損得勘定の得やおませんな」。使いに忙しい丁稚や手代達の間でそんな会話が交わされたのが船場の尼崎町(現・今橋四丁目)。享保9年(1724)の5月でありました。

橋下さん、得やおまへんで「徳」でんな、懐手に隠し持つのは「カタチなき徳」のタマ。道明寺屋吉左衛門(富永芳春)はエライ旦さんですなぁ。

 「旦さん、金儲けには学問はいらんのと違いますか?」ニッコリ笑った吉左衛門「私も以前はそない思うとりました。けど、衣食住足りて何とやら…心を満たす事の大事さを痛感しました。で、私らは三宅石庵先生の塾に学びました。学んだ上での商いは実に愉快でしてな。けど、学ぶ程に将来の大阪を考えました。若い人達にこそ学んで貰わんと大阪は萎んでしまう。それで同志を作りましたんじゃ」
 「塾と言うたらお金もヒマも要りますが、ワテらは奉公人で…」「あれを御覧なさい」と道明寺屋が指をさす。そこに記してありましたのが懐徳堂の学則。
一、書物を持たない人も聴講してよろしい。
一、講義中、店の用事で退出しなければならない時は静かに出る事。
一、学生達に身分の上下はなく、侍も聴講して良いが、区別はせぬ。
一、月謝は自分の裁量で出せば良い。
 大阪の大人が若者を育てようと立ち上がった瞬間である。今、その気風が大阪にあるか。学力テストの結果は大阪の大人の「懐」に「徳」があるかどうかが問われているに違いない。

淀屋橋にしろ、学問所にしろ、大阪の商人達が私財をなげうって立ち上げたというエピソードは明治以前には幾多もあった。
もはや「衣食住」が足りない。貧困率15.7%の状況では「学問」、「図書館」なんてどうでもいい。「希望を捨てる夢」を見なさいと言わざるを得ないこの国、この大阪の現状だとしたら、「さびしいー」。
だからこそ、へそ曲がりで<官が捨てた図書館を民のちからで再生させる>を愚直に推進して欲しい。妄想の希望を食むドンキホーテでいいではないか。愚直な強度があれば、世界も変わる。
今、マイミクさんから知ったのですが、赤木智弘氏が「朝まで生テレビ!」に出演しますね。彼も又「希望」を捨てないタイトな若者です。「希望を捨てることはいつだって出来る」、「捨てないこと」が生きることでしょう。
参照:http://162.teacup.com/sinopy/bbs/1028
朝日平吾の鬱屈 (双書Zero)
中島岳志的アジア対談