「しあわせな葉っぱ」な気分か、悪寒か、

しあわせな葉っぱ (新潮文庫)
デモクラシー以後 〔協調的「保護主義」の提唱〕
田口ランディブログ経由で知ったのですが
ダライラマ法王が来日して行われたイベントの講演録「地球の未来への対話」を「テープ起こし」ではなく、メモ書きよりアップされたものですが、読むことが出来ました。
仏教科学/仏教哲学/仏教、それは科学/哲学/宗教の領域を横断する瞑想する科学であり、哲学なんだろうけれど、ダライラマのポジティブな希望語りは「贈与の循環」で生かされ、生きている多細胞の個体の僕が利他の恩寵によって「宇宙の生命」とともに生き続け、見えない葉っぱが突然見えてしまう「ミエナイ草」のおーなり由子の『しあわせな葉っぱ』ではないけれど、そんな出来事が奇跡ではなく当たり前のように感じられる。ミエナイものが見えた時、見慣れた風景が奇跡に見える。
しかし、毎日新聞11月24日(夕刊)に掲載されている「エマニュエル・トッドさん『デモクラシー以後』めぐり座談会の記事「なぜ今、保護主義なのか?」は気になります。
詳細は来年1月発売の『環』40号に掲載されるので、じっくりと読んでみたい。『デモクラシー以後』も未読です。
参照:http://mainichi.jp/enta/art/news/20091124dde018040053000c.html