当事者としても「時間的損失」

斎藤環さんの毎日新聞「時代の風・『病気と「時間的損失」』(2009/12/20)を読む。

時代の風:病気と「時間的損失」=精神科医斎藤環
 ◇20年後見据え若者政策を
 「2030年問題」をご存じだろうか。たぶんどなたもご存じないはずだ。私が考えた問題だから。冗談はともかく、このところこの問題が、ずっと心にひっかかっている。
 かつて本欄で、ひきこもりやニートの若者たちの間で、急速に高年齢化が進みつつあることを述べた。厚生労働省ひきこもり研究班の調査の一環として、私が調べたところでは、現在ひきこもりの若者の平均年齢はすでに30歳を超えつつある。ひきこもりが20年以上に及ぶような超長期化事例や、就職後にひきこもるケースが増えたことなどが原因と思われる。
 このうち、40代なかばを過ぎた「ひきこもり第1世代」の人々が、少なく見積もっても10万人以上は存在する。「2030年問題」は、彼らの存在とかかわりが深い。
 2030年、つまり今からおよそ20年後に、彼らの多くが65歳になる。つまり、老齢年金受給年齢を迎えるのだ。これが何を意味するか。親の年金で生活し、それまでほとんど所得税を納めたことのない「高齢者」集団が、一挙に“出現”するのである。
 親が年金を支払い続けてきた彼らには、当然ながら受給資格はある。しかし周知のとおり、年金の財源には税金も含まれる。いかに資格があるとはいえ、ほとんど税金を負担してこなかった彼らの存在を、われわれはすんなり受け入れられるだろうか。
 おそらく、それは難しいだろう。20年後、われわれが年金について現在よりも寛容である可能性は低い。彼らは年金制度へのフリーライダーとみなされ、世間から激しいバッシングを受けることになるだろう。
 これは予言などではない。今起きつつある二、三の現実を組み合わせれば、むしろ起こらない方が不思議なくらいの事態なのだ。しかしこの問題は、本当に“彼ら”だけの責任と言えるのだろうか。

 まあ、僕は2030年まで生きていないと思うから当事者としてモロにバッシングされることがないとは思うけれど、今の当事者としての若者たちの2030年問題はどうなんだろうと周辺にそのような若者が珍しくないので、他人事ながら気になります。
 ある人があるところで、《今の若人が「やけ」にならないっていうのは、本当に本当にえらいと思いますよ。やけになろうとした局面もあったし、一部やけにもなっているかもしれないけれど。/それは、今の若人のお育ちの良さ、日本という国のある時期の余裕によるのかもしれないと思ったりします。》と書いていたが、僕の周辺にも似たような状況がある。ニート、ひきこもりなのに、家庭ではとてもいい子(と言っても成人式を終えた若者たち)なのです。家の者達も癒されている部分がある。[ペットに近いものだとは思うけれど…]
 だからこそ、両親は子ども達のために年金の保険料を払ったりするのでしょう。かような事例は沢山あると思う。

 少し話は変わるが、ある病気がどれだけ社会に損失を与えているかを検討する際に、「障害調整生存年(DALY)」という指標が用いられることがある。WHO(世界保健機関)が開発したもので、その病気に罹患(りかん)した患者の死や障害がどれほどの時間的損失につながっているかを一元的に示すことができる。国際比較も容易であるため、国の健康政策を決定するうえでも、きわめて重要な指標とされている。
 この指標にもとづいて考えると、必ずしも死因に直結しないけれども、社会的に重要な病気がどんなものであるかが見えやすくなる。
 ちなみにDALYに基づいて評価するなら、わが国では「がん」「うつ」「脳血管障害」が主要3大疾患ということになる。意外に思われただろうか。そう、「うつ」をはじめとする精神疾患は、この視点からは、きわめて重要な対策課題としてみえてくるのだ。

 僕は「メタボ」で「がん」だから、当事者なんだと思うけれど、先月、僕の仲間でもっとも活動的で色んな人からリスペクトされている友人にケイタイしたら、突然、「うつ」だと言われた。ケイタイの声は逆にハイテンションなのでビックリしたのですが、抗うつ剤でも飲んでいたのでしょうか。
 会いたかったのに、リアル充で会うことは出来ないと言われた。ケイタイでどのように対応していいのか、戸惑ってしまったが、田口ランディさんが参考になる記事をアップしてくれている。
 僕は真面目に対応したけれど、いい加減に応接すべきだったかもしれない。彼が僕のケイタイに出たことは、(他の仲間達の話ではケイタイにも出ないよってこと)僕のいい加減さでは、金輪際「ガンバレ!」って激励しないことが見え見えだったからではないか。
 僕の存在そのものが、「ルーズに生きる事例」だから、ケイタイに出てくれたんだと思う。
 だけど、何をどうしゃべっていいのか、戸惑ってしまった。

 たとえばアメリカでは、疾患の研究に投じられる研究費の額はDALYとよく相関していると言われる。しかしわが国では、この視点がとられることは少ない。予算の配分で重視されるのは、相変わらず身体疾患に偏っており、精神疾患対策の費用はその半分程度である。これは「死因」につながる疾患を重視しているというよりは、こころの問題を軽視しがちなあしき伝統ゆえではないか。
 DALYの発想は、ひきこもり問題にも応用可能だ。たとえば病気を「時間的損失」ととらえる視点。ひきこもりは必ずしも「病気」とは言えないが、みずからの意思に反して無為にひきこもり続ける生活もまた、「時間的損失」につながっている。あるいは「2030年問題」のように、不本意ながら他者の時間を奪ってしまうような事態も考えられる。(後略)