もう一つのオルタな世界


地元のシネコンで『アバター』3D版の日本語吹き替えのつもりで12:20分に間に合うよう雨の中チャリンコで出かけたのですが、通常版でした。スタッフの言うには3Dの吹き替えは上映予定がないと言う。
3Dの字幕版では、字幕がチラチラして邪魔になる悪い予感がする。
だから、出来たら3D版は日本語吹き替えを観るつもりだったのです。
仕方がない、通常版を観ることにしました。これが正解でしたねぇ。平日の昼間で通常版だからでしょうか。
お客さんが少なく、ゆったりと観ることができました。
予想を越えて、予想以上にどっぷりと映像にはまり込むことができました。
監督のメッセージは明確し過ぎる気もするが上から目線のものではなく、とても共感出来るものがありました。
ストーリーは頭にインプットされたので、今度はどこかで3D版を身を委ねて堪能しますよ。
でも、このようなナイーブな映画は映画以上に映画を越えて力強い「文化共振」を駆動させて色んな処にさざ波を起こす一つの切っ掛けになるかもしれない。
中国で何故上映中止になったのかわからなかったが、何となくわかる気がしました。
何たって「人類」が相対化されますからねぇ。「いのち」の連鎖の中でヒトはヒトに過ぎない。
まあ、鳩山首相の「いのち」が宇宙のキャパの中で構想されたものがどうか定かではないが、*1
俗物で生き続けて来た僕の垢が束の間でも削ぎ落ちる快感がありました。