デフォルトとしての無縁社会

社会が必要とされる基盤の一つは初期設定で「無縁」である人々を「社会システム」として補完する継続的な行政が稼働していなければならない。社会とは「縁あるネットワーク」であろう。
血縁、地縁、宗教縁、会社縁、などで補完できない「無縁」社会は最早「底の抜けた社会」であろう。アウトロー縁が受け皿になってオルタナな「コミュニティ」も社会とカウントすべきかどうか、裏稼業で支える「有縁」も肩身が狭くなっている。
無縁社会」の放置は政治の怠慢であり、自殺行為であろう。
無縁社会のことを考えるとどうしても「ヨコハマメリー」さんのことを思い出す。
元次郎さんがメリーさんに「縁」を感じたわけでしょう。そこに「希望」がある。
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