屁爆弾さん、記憶(6)

「まっすぐに歩くこと、自分が何をしようとしているかをいつも知っていること」
Sonny Clark Quintet - Blue Minor

http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20051019
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屁爆弾 2005/10/19 12:24
わ。引用が引用されてる(笑)。モリーナのこのセリフは小説ではもう少し長いんですが、その一部分だけを引用させてもらいました。それにしてもモリーナのセリフ「まっすぐ歩く」は、葉っぱ64さんがご紹介されているお写真にベストマッチ!お写真の脚、なるほど美しいです。靴のラインとヒールの高さのバランスがきれいです。しかし、女性のハイヒールは実はソフトな纏足ではあるまいかと私は常々ひそかに思っちょります(笑)。

kuriyamakouji 2005/10/19 17:30
ハイヒール=纏足って言う仮説はよく聞きましたね、shohojiさんといつか須賀敦子についてやりとりした時、石畳を歩く須賀さんの足音の描写で絶対、ハイヒールの音でなくローヒールだとお互い合意に達したのを思い出しました。
僕は最近ではスニカーを穿く女性の歩く姿もいいなぁと思うようになりました。

屁爆弾 2005/10/19 20:10
須賀敦子っていいですよね。プイグの小説も須賀さんの読書案内の文章を見て読む木になったものでした。塩野七生さんも何か書評本を出してくれないかなあ。あっても私が知らないだけかな。石畳を歩く靴の音。それは興味深い話題ですね。石畳なら「コンコン」かな。鉄の階段なら「カンカン」?須賀さんはどんな表現を使われていたんでしょう?スニーカーは、人にもよるんでしょうが、私は常用しているうちに大また歩きがクセになっちゃいました(笑)。

屁爆弾 2005/10/19 20:12
二行目誤字訂正:誤「読む木に」→正「読む気に」。

kuriyamakouji 2005/10/19 22:14
須賀敦子の本はダンボールに梱包しているので、取り出せない。どこかにそんな描写があったはず。すぐに探すことが出来ません。河出のムック本の須賀敦子特集から森まゆみが書いている「心に伽藍を建てるひと」の「ユルスナールの靴」から引用をしておきます。
≪きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行きべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。≫(9頁)

shohoji 2005/10/20 11:38
須賀敦子さんの靴のかかとの話は、わたしが読んだのは『ヴェネツィアの宿』の中だったと思います。昨日こちらのブログを読んで、調べようと思いつつ、ばたばたしていてできずじまいでした。
須賀さんは、中世の石畳の上を、「カッカッカッ」という音で歩かれていただろうと、想像します。
ユルスナール・・・』の引用を読んで、保坂さんの『小実昌さんのこと』を思い出しました。軍隊というのは合理的なことを求めると、足に合う軍靴を支給するのではなく、支給された軍靴に足を合わせないといけない、なるほどこれこそ合理的だ、といったことを、小実昌さんが言われていたと、書かれていました。

屁爆弾 2005/10/20 16:08
shohojiさん、お調べくださったんですね、ありがとうございます。葉っぱ64さん、ユルスナールからの引用をありがとうございます。shohojiさん、「カッカッカッ」は、私の感覚ではハイヒールの靴音のような気がするなあ。ただ、ローヒールでも靴底に打っている釘によっては同じところを歩いても音が微妙に違うんですよね。これは大変面白い観察だと思います。文章の中の擬音は「音律」だし、擬音づかいの巧みな文学には美しい音調がある。いい文学は耳でも味わうことができますよね。軍靴のお話ですが、う〜ん、この場合の「合理的」というのは、みもふたもない「合理的」ですね(笑)。

僕が須賀敦子の名前を知ったのは1998年で、古本屋をやっていたM氏がお茶の水の病院に前立腺癌(リンパ節転移)に見舞いに来てくれて、これからイタリア文学に造詣の深い女流文学者がやはり癌で入院しているので、これから新宿まで見舞いに行くと言う。彼と店のスタッフが身の回りの世話もしていたらしい。僕はイタリア文学者と言えば塩野七生のことしか思い浮かばなかったので、頓珍漢な受け答えをしたら、「須賀敦子」だと言う。
そこで、初めて須賀敦子にまつわるエピソードを色々と聴いたのですが、僕の手術、放射線治療も一段落して、ひとまず、病院から開放された3月末、須賀さんが、お亡くなりになった。
M氏のお母さんも須賀さんの大ファンで馬があったと聞き及んでいました。数年後、お亡くなりになったが、お二人の「不在」はM氏にとって埋めきれない欠落だったと思う。
なのに、僕はステージD1だったにもかかわらず、思わぬ10年以上の延命なのです。

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