主役の青年はは鳩山さんに似ている



http://www.youtube.com/watch?v=nSY7rxr0n04&feature=related
id:ginyuさんから借りたタル・ベーラ監督のDVD『ヴェルクマイスター・ハーモニー』を観る。
2時間25分の上映時間にたったの37カット。前回観た『倫敦から来た男』もそうですが、執拗に長まわしのカメラワークは観てる僕も息継ぎが長くなり、シンクロするのか、呼吸が荒くなる。
物語はともかく役者の顔、町の風景、なんでもない、人々の振るまいにじっくりと対峙出来る余白があるのか、観ていながらいろんなことにジャンプする。疲れるけれどねぇ。体調が良くないと観れない。
見終わって、暫く脱力した後、ヴェルシュカ・ヤノシュは鳩山さんではないか、冒頭、居酒屋で太陽と月、地球の皆既日食の音楽詩劇を演ずるから、宇宙人としての鳩山さんにリンクしたわけではなくて、その後の彼の当事者、傍観者との視点が交差する「戦い」も「逃走」もかなわぬ崩壊。その青年の姿が鳩山さんに重なったわけです。
その青年の叔父である音楽家エステル氏は小沢さんではないかと思いました。マイクに向かって独白する彼の「音楽理論」は戦後日本の日米安保体制を問う宣言に聞こえました。

名前も、いつの時代かもわからない、ハンガリーの田舎町。その不気味な日常に、不穏な「石」が投げ込まれる。それは町の広場に忽然と現れた、移動サーカスと見せ物の“クジラ”、広場に響く“プリンス”と名乗る煽動者の声。彼らはどこから来てどこへ行くのか。煽られるように広場に群がる住人達。そして、町中の何かが歪み始めた。住人達の興奮は最高潮に達し、破壊とバイオレンスへと向かい始める…。(裏表紙にの解説より)

前日、地元のシネコンで『ハートロッカー』を観たのですが、色んな情報を前もってネットでも得ていることもあるのですが、展開が予想通り、どこかで何度もお目にかかった映像ばかりで退屈でした。恐らく、『ハートロッカー』には外部の視点がない、少なくとも閉ざされた内部システムで右往左往する絶望感と悩みが前景化しない。
『ヴェルクマイスター・ハーモニー』には外部の視点があるわけです。少なくともそのような実験的精神がある。
↓の評者が書くようにエステル氏はHARRY PARTCH(ハリー・パーチ)にも似ている。でも、最後に「転向?」しちゃう多分。まあ、システム内で落としどころを見つけるということ。

参照:http://www.korpus.org/corpus/contents/cine_journal/data/werkmeisterharmonie.htm
有名人候補はクジラなのでしょうか?