やっぱブログはオモロイ!

集中講義・精神分析?─精神分析とは何か フロイトの仕事
早稲田文学 3号
生き延びるためのラカン (木星叢書)
◆偽日記さんの更新された本日の記事を読むと、
ブログは終わっていないんだとつくづく思う。
追記:http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20100619
古谷利裕としての「紙の本」でもなく、
電子書籍としてのフォームを持ったものでもなく、
日々の「考え」のホットなプロセスをノイズを含みながら、
アップした記事はブログとしか言いようのない、
記述される以前の「出来事」が放散している熱気を伴いつつ、
「ブログ化」されていると言った様相なのです。
勿論、twitterでもなく、僕の身体深く届くものがある。
ビッグイシューの挑戦人はある日とつぜん小説家になる「ひきこもり」だった僕から

分析家とクライアントとの関係は確かに非対称的なものではあるが、一方的に分析-非分析という関係なのではなく、お互いにお互いを巻き込み、引き込み合う関係として進行する。その時、分析家の無意識が中立であるということはあり得ない。その偏りも含めて分析家は自らの無意識を差し出し、その無意識を媒介にして精神分析という過程は進行する。(http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20100617)

藤山直樹・『集中講義・精神分析』(岩崎学術出版社)からの付箋というカタチをとっているが、
むしろそのことで「ブログの特徴」が顕在化していると言って良い。
まあ、僕のブログも引用が多いが、むしろそれを意識しているところがあります。
誰かが言った、書いた言葉に触発、依代されたりして、僕の無意識が駆動してその「出来事」を書記する。
だから、本文の記事は僕を含めて色んな人を渦化させる「誘い水」のようなもので、
コメントのカキコは大歓迎なのです。
まあ、連句連歌のごとく、管理者特権として、コメント承認は僕の権限内ですが、
承認しない場合は、殆どない。
だけど、僕の「情」が判断基準だから、何とも言えない。
それはそうと、精神分析家が日本に三十人しかいないのですねぇ。
ラカン派は国際精神分析学会には所属してないから、カウントされていないのですって。
ラカン派の分析家で思い浮かべるのは、生き延びるための斎藤環ですが、
ホームレスが路上で雑誌を販売すると言ったビジネスモデルを
立ち上げた『ビッグイシュー』の挑戦の新刊が
代表の佐野章二によって発刊されたが、
僕はこの雑誌で精神分析家の斎藤環×ひきこもりの上山和樹の往復書簡の記事を一番楽しみにしていました。
佐野さんにも本屋のトークイベントの呑み会で、その旨を言ったことがありました。
佐野さん自身もこの記事に力を入れているとおっしゃっていた。
双風舎が企画した斎藤環×脳科学者の茂木健一郎の往復書簡はなんとか再開して、
「紙の本」として刊行されることが決定しましたが、
上山さんと斎藤さんの往復書簡も再開して「紙の本」として上梓されれば嬉しい!
そのためには同一化スレスレのアクセスがないと難しい。
「覆水盆にかえらず」の事態があるわけ。
http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20080915/p1
http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20100610