千年、働いてきました。お線香を絶やせません。

千年、働いてきました―老舗企業大国ニッポン (角川oneテーマ21)もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら若者よ、マルクスを読もう (20歳代の模索と情熱)人生が驚くほど変わる 龍馬脳のススメ
過日、地元のFMラジオを聴いていたら西成を拠点にするアクティビストの詩人が東京在住の有名な老詩人に声かけして、釜ヶ崎を歩く、詩のイベントを行ったのだが、老詩人は若い詩人に「言葉よりお金だよ」と運動にいかにお金が必要か、詩人らしからぬ真摯さで応答して協力を約束したというエピソードを披露したが、「お金より言葉だよ」と安易に言ってしまう偽詩人の多さに辟易してしまういやらしさより、偽詩人よりロマンティストで冒険家で詩人とも言ってよい野村進の『千年、働いてきましたー老舗企業大国ニッポンー』に登場する創業者たちはとても面白い生き様を教えてくれる。

 僕は先ごろ半月ほど奈良と京都を一人で旅してきたのだが、お寺に行き、仏像を見、お経を聞き、お茶をいただき、お香のかおりに包まれて、仏教が五感のすべてに働きかけてくれることを初めて体感した。
 そのうちで思いのほか重要な役割を担っているのが、お香のかおりである点に気がついた。「毎日香」や「青雲」で知られる日本香堂マーケティング本部長・稲坂良弘さんから、次のような話を聞いた。
 「『日本書紀』の中で推古三年(595年)、淡路島に一本の香木が漂流し、朝廷に届けられたと記されていますが、香りの文化も仏教の伝来と共に入ってきたわけですね。最初は仏前で香をたき、身を清めていました。でも、日本人は外来の文物を、どんどん消化して、オリジナルな進歩をさせますよね。香りもそうで、平安貴族達は、祈りから離れて、芳香を部屋にたきこんだり、衣服や髪にしみこませたりという発想を生み出してゆきます。まさに『源氏物語』の世界ですよね」
 「これがさらに鎌倉・室町時代になりますと、香りを当てて遊ぶゲームが生まれ、ついには作法の体系までなってゆきます。つまり、『香道』という、香りをテーマにした、世界に類を見ない芸道を日本人は創ってしまうわけです。日本の風土と歴史が培ってきたものだから、世界のどこを探しても似たものがない。そういう香りの文化が見直されてきたのが、最近のアロマ・セラピーなんかも含めた「香りブーム」だと思うんですよ。」
 香りの文化は中国やインド、アラブにもあるが、作法の体系にまで昇華したものは、日本にしかないそうだ。それなのに華道や茶道のように広まらなかったのは、稲坂さんによると、香木の値段が主因ではないかという、香木の最高級品である伽羅は、1グラム1万5千円、純金のなんと六倍もする。伽羅が三キロほどあれば、東京に家が一軒建てられるのである。
 伝説的な香木として名高い「蘭奢待」に、三十八箇所もの切り取り跡がある事実が明らかにされたのは、今年初めのことだ。ただし切り取った人物のうち三人は、むかしから名前が知られている。足利義政銀閣寺を建てた室町幕府将軍)、織田信長、そして明治天皇である。
 この蘭奢待は、奈良の正倉院に秘蔵されてきた。
 正倉院の所蔵品の数々を法隆寺奈良国立博物館などで見てきた僕は、古代の木簡や、金箔で装飾された仏具や、銅鏡などもあることに符号するものを感じて、ひとり得心していた。なぁんだ、呉竹も、カタニ産業も、村上開明堂も、そして蚊取り線香の起源を辿ればKINCHO大日本除虫菊も、すべて正倉院に原形があるじゃないか、と。
 かって中国大陸や朝鮮半島を通じてもたらされた世界の品々は、墨も、金箔も、鏡も、香も、日本にいったん受け入れられたあと、独自の変化を遂げていった。現代の僕らを取り巻くさまざまな日常品に、すっかり姿を変えていると言ってよい。一見すると非日常的な物がほとんどだけれど、それらは国内で使用されるだけにとどまらず、日本製品として世界中に送り出されている。
 思うに、この日本列島に住む人々は、文化の大きな循環の中で生きてきた。
 そのことを最も鮮やかに具現しているのが、老舗企業の姿ではないか。正倉院の所蔵品を見つめているうちに、僕はそんな感慨に満たされていた。(151〜153頁)

 今年の初め正倉院の前まで行ったのに、時間がなくてパスしたけれど、今年中には行ってみたい。確か高校生の頃、行っているのですが、あれから何十年も経っている。正倉院と老舗企業をリンクさせると文化としての「企業」がいわば「グローバル企業」とは違った企業のあり方として見えてくる。これらの老舗企業は殆ど「非上場企業」ですよ。でも、同族会社ではないかと言っても積極的に「養子縁組」、「婿入り」を取り込んで外に拡がっている。華僑のように血族に拘らない。そのような意味ではグローバルでもある。
 華僑や印僑は「アジアの商人」であるけれど、これらの老舗企業の核は「アジアの職人」としての矜持でしょう。
 世界最古の会社は宮大工の金剛組とのことです。
 そう言えば、大学に進学しないで、高校を卒業したら、「宮大工になるんです」って将来設計を披露してくれた高校生がいたが、宮大工として修業を続けているのかなぁ。
金剛組(578年) 西川産業(1566年) 吉字屋(1568年) ヒゲタ醤油1616年) 浅香工業(1661年) 福田金属箔粉工業(1700年) 戸田工業(1823年) セラリカNODA(1832年) 勇心酒造(1854年) 永瀬留十郎工場(1871年) 村上開明堂(1882年) 林原(1883年林原商店) DOWAホールディングス(1884年藤田組) 大日本除虫菊(1885年) 田中貴金属(1891年田中商店) エプソントヨコム(1891年東洋通信機) カタニ産業(1899年) 呉竹(1902年)
 僕らの頃は行き当たりばったりで、就活なんかしなかったけれど せっかく就職するのにこんな風に企業調査をするのも面白い。
 これらの老舗企業だけではなく、小さくても名前もあまり知られなくとも、非上場企業でもオモロイ会社がまだまだあるかもしれない。
 お盆モードなのか、少し抹香臭い『千年、働いてきました』の紹介になりました。合掌。