本のない本屋

昭和17年頃、吉行淳之介静岡高等学校文科丙類に在学していたが、その頃の話しです。

まず、書店の棚に本がなかった。ハードカバーはもちろん、文庫本(そのころは、岩波文庫が主であった)の棚はガラガラで、赤帯の文学書は選ぶというほど点数がなく、白帯の『マルサス人口論』という文庫本がやたらにたくさんあった。当時、これを持って歩いていた学生が逮捕された、という有名な噂があった。マルサスマルクスと間違えられたというのである。(中略)
静岡の街には大きな書店が二つあって、小さい書店もいくつかあった。そのうちの一軒に、頽廃的な感じの売り子がいて、私は甚だしく魅力を感じた。もっとも、私の審美眼に同感した友人は一人もいなかったが。といっても、ただ買った本をその娘のところに持ってゆくだけである。一度、眼と眼が合ってお互いに(?)茫然としているうちに、釣銭を入れた容物がバタリと床に落下したことがある。
新宿の紀伊國屋にもそういう娘が一人いて、私は瞠目したが、近くにいかにも凶悪なかんじの中年男がいたので、私はあきらめた。その男が、田辺茂一氏とわかったのは後年のことである。(『吉行淳之介 スペインの蠅』p53)

僕らの時代でも似たようなエピソードはふんだんにありましたねぇ。今でもそんな出会いがあるのではないの?書店空間ってオモロい。ネット書店では無理。知人のアナログおやじが本屋さんで本を探すのに端末の操作がわからず、店内を見渡すと文学書の棚を逍遙しているお嬢さんがいた。ヘルプの声かけしたら親切に教えてくれて色々と話しもしたよと嬉しそうに言っていたが、まあ、お嬢さんにとって「介護サービス」のつもりだったかもね。
でも、リアル書店ってサプライズな本の出会いだけではなく「人」との出会いもある。