君が代


http://www.asahi.com/national/update/0530/TKY201105300242.html
近々に親父の17回忌を行う予定ですが、親父の思い出として旗日には商家時代、倒産して大阪の長屋時代、どんな時代でも近所に日の丸の掲揚がなくとも、粛々として掲揚していた。内田樹さんの言うように、

日本国に敬意をもつ人間であれば、誰に強制されなくても自然に国旗には頭を下げ、国歌には唱和する。
神社仏閣を訪れる人間は、誰に強制されなくても自然に頭を下げている。
別に誰かが「こら、頭を下げろ、さげないと処分するぞ」と命令しているからではない。
具体的に私たちに対して何の利益も不利益ももたらしていないような天神地祇に対してさえ、私たちはほのかな敬意を抱き、それを自然にかたちにする。
ましてや具体的に私たちの日々の平穏な暮らしを保障してくれている国家に対して敬意と感謝の念を抱くことがそれほどむずかしいことだと私は思わない。

親父の気持ちの中に声高にパフォーマンスすることに「恥じらい」があったと思う。
大阪府橋下知事が、入学式や卒業式での君が代斉唱時に起立しない教職員に対する免職処分の基準を定めた条例案を9月の府議会で審議する以降を表明。
条例化に意欲的だが親父のナショナルな心情から言えば「腹立たしい」ものだろう。
親父は愛国者だったからこそ、こういうことにナイーブに反応したと思う。
愚息の僕は「ナショナルな心情」とはほど遠い位置(多分)にいるから、儀式として国旗掲揚の場に臨んだ時はホイホイと寧ろ過剰に起立して君が代を裏声で歌うだろう。