鬼っ子を背負ったまま

http://www.taro.org/2011/05/post-1017.php
日々断捨籬をやっているがなかなかモノが減らない。私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)
冬物を整理してもう着ないだろうものは子供会のリサイクルに提供するとかしたりして悩んでしまう。
水産物の一年間の総生産量が12.4兆円です。これを消費したうえで残飯や、手付かず食品として廃棄する食生活の損出は11.1兆円になるという。なんか棄てるために生産している再帰的システムの中で生かされている気がするが、頭にアップした河野太郎の記事を読むと棄てる事のできないものはニッチもサッチもいかないで抱え込んで、背負いこんでいかなくていけないんだろうか?
昔、流行の最前線でホビー関連商品を取り扱っていた友人が「商品というゴミを再生産しているんだ」、ホビーという消費されるゴミは管理社会の再帰性の中で「コミュニケーションツールとして稼働」しているわけで、コミュニケーション的ゴミ需要にこたえているわけ。
なるほど、名言だと思ったが、放射線物質のゴミはマーケットの中で商品化されない化け物で、精々「ゴジラ」を手懐けたに過ぎない。
補助線:http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110527/220271/?P=1