原発社会からの離脱
Even if you are on the right track, you will get run over if you just sit there.
原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書)
- 作者: 宮台真司,飯田哲也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/06/17
- メディア: 新書
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- 作者: 河出書房新社編集部
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2011/06/21
- メディア: 単行本
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今朝から宮台真司×飯田哲也の対談集『原発社会からの離脱』を読み始めていますが、ナットク出来ることが多く、
頷きながら吸取紙の脳内になって気持ちよく吸収している。
それにしても、海江田経産省大臣にしても「原発推進派」はどうしてかって原子ムラにもいた飯田哲也を論駁するくらいの論理展開を公開の場でやらないのかとつくづく思う。
新聞でも、雑誌媒体でもネットでも、「メディアリテラシー」の検証が出来る情報公開、そして、一番肝心なのは論者、コメンテイターの「何故、かような発言をするのか」という動機の基底に横たわる「哲学」の開示です。
宮台さんにしろ、飯田さんにしろ、小出さんにしろちゃんと己の哲学(生き方)を開示している。
「お金がすべてだ、お金のためなら何でもする」、「既得権死守」(システムを変えたくない)、「次世代のことは知っちゃいない」、「今を蕩尽し尽くす」、「サバイブのための差別を肯定」なども一つの哲学です。
本気でそのことを生き方のバックボーンにしているなら何ら恥じることなく主張すればいい。その上で「原発推進」なら理解が届く。
でも、そんな合理的な説明が見えない。不条理、混沌の中でただ、「スイシン!」と叫んでいる。
◆http://www.taro.org/2011/06/post-1034.php
↑頭の言葉は河野太郎経由でマークトゥエーンです。
◆ひさしぶりに授業をしました - 内田樹の研究室
◆『思想としての3.11』: pataから、吉本隆明のコメント引用。
原子力はそれを最終的には戦争に使うために貯蔵することも、また多面的な利用もできるし経済的な利を得るために開発することも、見方を変えればいくつもの目的があるわけですが、もっとも根本的には、人間はとうとう自分の皮膚を透過するものを使うようになったということですね。人間ばかりでなく生物の皮膚や骨を構成する組織を簡単に通過する素粒子や放射線を見出して、物質を細かく解体するまで文明や科学が進んで、そういうものを使わざるを得ないところまできてしまったことが根本の問題だと思います。それが最初でかつ最後の問題であることを自覚し、確認する必要があると思います。武器に使うにしても、発電や病気の発見や治療に使うにしても、生き物の組織を平然と通り過ぎる素粒子を使うところまで来たことをよくよく知った方がいい。そのことを覚悟して、それを利用する方法、その危険を防ぎ禁止する方法をとことこんまで考えることを人間に要求するように文明そのものがなってしまった。素粒子を見つけ出して使い始めた限り、人間はあらゆる知恵を駆使して徹底的に解明してゆかないと大変な事態を招く時代になってしまった。原子力は危険が伴いますが、その危険をできる限り防ぐ方法を考え進めないと、人間や人類は本当にアウトですね。(中略、しかし)その道を行くしかないのですね。