「思想としての3・11」から
佐々木中の『砕かれた大地に、一つの場処』(「思想としての3・11」に収載)の講演で坂口安吾の太宰治に対する痛烈な追悼文「不良少年とキリスト」から↓こちらの言葉を会場のみんなに野放図に投げかける。
教祖の文学・不良少年とキリスト (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
- 作者: 坂口安吾,川村湊
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/07/10
- メディア: 文庫
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原子バクダンを発見するのは、学問じゃないのです。子供の遊びです。これをコントロールし、適度に利用し、戦争などせず、平和な秩序を考え、そういう限度を発見するのが、学問なんです。
自殺は、学問じゃないよ。子供の遊びです。はじめから、まず、限度を知っていることが、必要なのだ。
私はこの戦争のおかげで、原子バクダンは学問じゃない、子供の遊びは学問じゃない、戦争も学問じゃない、ということを教えられた。大ゲサなものを、買いかぶっていたのだ。
学問は、限度の発見だ。私は、そのために戦う。
どうも、『思想としての3・11』の読後の感想は佐々木中のこの巻頭の論考と、廣瀬純の「原発から蜂起へ」論考の端を摘んで、いやそうではなくて解いて見れば大風呂敷が見事に広がったという気がしないでもない。本書ではやはりこの若手二人の二つの論考が強烈な印象がありました。