技術抑止?

ところで『思想としての3・11』を読むと色々腑に落ちるところがありました。特に加藤典洋の「未来からの不意打ち」は、うすらぼんやりと考えていたことが、さっと霧が晴れる感じがしましたよ。僕も多少、理系の頭になって小学校の「理科」から勉強をやり直さなくてはならないねぇ(汗)。
僕も「技術抑止」という鍵概念を初めて知りました。

 今回の原発災害の根が深いと思うのは、一つには、核燃料サイクル政策という問題です。これは日本が国策として中曽根康弘元首相などを先頭に長年推進してきた政策だけれども、今回わかったことは実はこれは核兵器を担保する政策だったんだということなんですね。そんなことにもよく目がいっていなかった。技術抑止という考え方があるようです。それは核抑止よりも洗練された政策思想です。核抑止というのは「核をもっているけれども使わないよ。隠しているけど使おうと思ったらいつでも使えるよ」というものですが、技術抑止力は「作ろうと思ったらいつでも作れるよ。でも作らない。とはいえ、何か問題が起こったら作るよ」という抑止なんです。まだ勉強途中だけど聞くところによると、ソ連アメリカの核軍縮交渉が理念として掲げていたのは、核をすべてなくして技術抑止にまで退くというものだったようです。しかしそれは他のところに拡散しちゃったからできなくなった。つまり拡散防止と言いつつ、これは核の防止にもっていくという理念上の根本にあるのは技術抑止だったんですね。核抑止の最高度概念だと言ってよい。日本もその一貫のなかで技術抑止という考え方で実は核抑止をやってきたわけです。(p73)

 僕は河野太郎のブログを日々ロムしているのですが、彼が再三言っていることは「脱原発」ではなく「脱核燃料サイクル政策」なのですが、もう一つ理系的に頭が整理されていなかったのです。

 (略)日本はプルトニウムを五十トンもっているんです。北朝鮮は四五キロです。彼らの場合、四五キロでも何のために使うのかと言われ、原発をつくるのだと答え、信用されずに、原爆をつくるのだろうというので査問にあっているわけでしょう。でも日本は五十トンだからね。その多くはイギリスとフランスに置いてある。日本で再処理ができないから。なぜ日本はこんなにもたくさんもっていても文句を言われないかというと、核燃料サイクル政策がその最後の砦、口実なのです。イギリスもフランスも他の国はこれで原爆を作っています。だから当然、再処理をする。その工場が必要となる。でも日本は原爆をもたないことになっている。でもその工場を自前で作った。六ヶ所村の再処理工場ですね。でもその理由は核燃料サイクル政策で、そのため、最後に高速増殖炉もんじゅを作らなければならなかった。巨額を投じ、これからも投じ続けなければならない。でもその実現可能性はもうない。自民党ですら二〇五〇年までは実現できないとした。世界もそれについて手を引いています。
 ではどうするか、何をもってプルトニウム所持を正当化するか。この技術抑止のための暫定的な理由作りのために考え出されたのが、「プルサーマル」ですね。従来の熱(サーマル)中性子炉でプルトニウム燃料を焚くやり方で、日本の他にフランス、アメリカでもやられているようですが、この言葉自体は和製英語で、福島第一の三号炉がこれです。でも、プルサーマルというのはウラン九割にプルトニウム一割を混ぜMOX燃料というものを使う。プルトニウム処理にはほとんど用をなさないだけでなくて、プルトニウム用でない炉で焚くのですから、要件に合わない燃料を使う危険度の高い運転法でもある。そのためにまた巨額を投じている。(p74)

 小出裕章さんがよく言っている石油ストーブを燃やすのに灯油ではなくガソリンを注入するようなハイリスクな挑戦なのだ。くわばら!
 なるほど加藤典洋さんの説明はわかりやすい。さすが文芸評論家です。このような文脈から日本は初めて丸腰になり、「技術抑止カード」がなくなり別の基軸を持ったなければならなくなる。それが憲法九条の平和条項だと言うのです。