辺見庸の言葉

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もし、北林谷栄さんが存命なら百歳ですか、辺見庸著『屈せざる者たち』を読み進んでいると96年1月8日に北林谷栄との対談で、辺見庸チェルノブイリの村を訪問した体験を語っている。とても印象的なドキュメントなので少し長いけれど引用します。屈せざる者たち (角川文庫)詩文集 生首

辺見 それは読んでいないのですが、北林さんが脚色された深沢七郎さんの『楢山節考』のテーマというのは、いまの世の中にもあるなというふうに思ったことがあるんです。
 それは、93年にチェルノブイリに行ったときです。86年に原子力発電所の事故で大量の放射線がまき散らされ、その村から全員が逃げ出したんです。でもキエフやモスクワに行っても、経済危機でインフレがひどくて食べていけないんですよ、村人たちがですね。それで、おじいちゃんやおばあちゃんたちが一家の口減らしのために、千年は住めないと言われるチェルノブイリ地区に戻って来たんです、立ち入り禁止なんですが。無論、“口減らし”なんてだれも言わないのです。暗黙の了解というのでしょうか。いま、生まれ育った家のペチカに、もう一度火をつけて暮らしているんです。放射性物質を帯びた薪を燃やして静かに暮らしている。そこを歩いたときに、いちばん思ったのが『楢山節考』のことでした。
北林 うれしいな。うれしいと言うと誤解されるかもしれませんが、山に捨てられるおばあさんの役をしたときに、それまでみたいに泣く泣く捨てられちゃうという惨めな受け身にしたくなかったんです。それで、楢山に行くことを自分の決断で選びとるというふうに変えちゃたんです。それくらいの尊厳は認めていいと思うんです。
辺見 チェルノブイリに話を戻しますと、世界各国から食料の援助が来るんですが、おじいちゃん、おばあちゃんたちの多くは自分たちで食べないんですよ。キエフとかモスクワに避難している孫たちに送っちゃうんです。自分たちは放射能入りのキノコなんかを食べるんです。放射能ですから、色もなければ匂いもないし、見えるわけでもない。それは不安だと思うんですよ、もちろん。彼らは緩慢に自死している、というふうに感じましたね。
 そして、こういう生活の中で彼らは、放射能のことなんかあまり話さないですね。人生の意義について語るんですよ。放射能入りの自家製酒を夜ごと飲んで民謡を歌い、荒涼とした土地をどうやって開墾したのか、またよき社会主義の時代には、いまのような腐敗もなかったというふうなことを涙を流しながら語るんですね。自分の人生を顧みるときには、放射能の問題なんかに絶対したくないわけですよね。自分の意思で生きてきた、その意義について一生懸命考えようとするわけですね。
北林 とてもいい話ですね。それが人間の尊厳というものでしょうね。人間の尊厳なんていうものは小癪なことを言うことじゃない、行為ですね。そのおじいさんやおばあさんたちの、その後の変化は見届けてはいらっしゃらなかった?
辺見 そこまで長くはいませんでしたけど、やっぱり死亡率が高いですね。それから、あそこで食事を御馳走になりますと、おそらくはほとんどが放射能入りなわけですよ。怖いんですけれど思い切って食べるわけですね。そうすると、おじいさんやおばあさんが食べなくていいですよ、と言うんです。それで、サーロとかいう豚の脂肪をペーストにしてパンに塗って食べるんですが、これは放射能が少ないから食べなさいと言う。それから自家製の赤ワインは、おしっこにして放射能を流してしまうから飲みなさいと勧めるわけですね。
北林 素敵な人たちですね。
辺見 チェルノブイリではいろんなことを考えました。たとえば、原子力発電という文明の最先端のハードウェアと愚昧な政治の同居。責任のなすり合いとか隠蔽とか。いっときは原発建設に両手を挙げて賛成した貧しい農民たちの失意。じゃあ、その人たちはどうするかというと、文明社会に対して怒るだけじゃなく、結局は自分たちの半生を振り返るんですね。内省しながら、どこかで死を覚悟している。だからですかね、人情が厚い。
北林 『昔気質の地主たち』というゴーゴリの小説に出てくる老地主夫妻みたいですね。ロシアの土にずっと伝わってきた田舎ふうの人間愛が、その被害者のおじいさん、おばあさんに体現されてきたみたいですね。
辺見 風景が怖いなと思いました。何千人も住んでいた村が、ほとんど死の村になっているわけですよ。それで、物陰からひょこっと猫が出てくる。それが足をひきずっていたり、片目だったりするんです。驚いて家の中を見ると、変色した86年のカレンダーが風にバタバタいっている。過去ではなく、将来を見ているような気になりましたね。そうかと思うと白髪のおばあさんが、だれもいない雪道を一人で歩いてきたりする。普通の顔をして生きているんですね。凄い覚悟だなと思いました。でもそれは、東京暮らしのわれわれが想定するような覚悟の仕方とは違うなと思うんです。その生き方を選んだのではなく、ごく自然になされたというような気がするんです。(p205~7)

7月20日 海江田大臣からの電話の用件 小出裕章(吉田照美ソコダイジナトコ) | 小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ