外科医×放射線科医

柳原和子の『百万回の永訣』を読みながら、あまりにも患者としての柳原の背景に入り乱れるバルザック的人間模様に唖然とするところがある。こんなにも「がん専門名医」分野別50選に選ばれるような名医たちに囲まれて、何を選択するか悩む柳原に最初は嫉妬していた気味があったが、「シンプル イズ ベスト」だよと言ってやりたいほどの痛ましさを次第に感じ始めた。
通常一般の患者にとって想像できない贅沢なネットワークで「3時間待合」、「3分間診察」はどこの世界なのかと思ってしまう。いわばそのセレブ患者とも言っても良い彼女自身、そんな結果としての差異診察を気にしない図太さがあればまだしも、そのことにストレスを感じてしまう繊細さもある。自業自得と言っても良い。一般の患者より優遇されているといった疾しさがある。免疫力が下がとくる。そんな錯綜さがあるわけです。それに加えて、代替医療の有名施療師たちも登場する。それでも本人が「広告塔」と割り切っていればまだしもそんな俗な逞しさはない。しょほ
僕のように保険適用、大部屋が大原則とは違う。余分にお金があればまだしも彼女は借金をしながらギリギリの生活を送っている。たまに現金が入ると一流どころで会食する。
僕の生き方と真逆のところが随所にあります。
大多数の患者と同じ標準医療でいいではないか?どうせ、勝ち取るものは根治ではなく延命に過ぎない。
そんな基本が僕の中にある。ちょっといい恰好過ぎるかなぁ。
唐突に彼女は「恋の営み」にかぶせる(2005年1月10日より)

そして、あるとき……了解する。/これは恋、恋の営みに似ている、と。/治療法をさぐる、という行為を通じて浮遊する魂のよりどころ、おさまりどころを、探しているのだ、と。/当然のことだが、その恋は成就しない。/永遠に、片想いである。/恋や人生に処方箋がないのと似て、がんにも処方箋はない。/医学に無知なわたしは、結果として医師を観る。人間としての医師を読みつづける。さながら人漁りと言っていい。もっとも上手に幻惑させてくれる魔術師、ドンファンをさがす。データを読む視覚の複雑さ、勧める治療法について説く言葉の選び方、論理のたてかた、思考の深さ、独創性、自由度、経験の数、技術力、志の高さを読みとろうと試みる。/あらゆる些細なデータをわたしはこころのデータベースにインプットしようと心がける。/しかし……。/激しい恋はいつも永遠の愛を求め燃え始めるが、決まって冷酷で、かつ空虚なため息で終わる。/微妙な距離を……。/防衛本能が、働き始める。

やっかいなひとだなぁ。相対すると逃げ出したくなる。医療の臨床現場にこれほどまで濃いい絆(コミュニケーション)を要求されても受容する覚悟が患者ひとりひとり対して、医療従事者にあるのか?と問うこと自体、残酷でもある。

ところで、読みながら結局、日本では「外科医」の権威はまだ強い。
でも、僕の気持ちの中でも、著者も揺れ動くところに「放射線科医」の存在がある。
そこで、外科医を主人公とした小説は沢山あるけれど、「放射線科医」をヒーローとした小説はあるかしらとネット検索してもなんらヒットしない。
「神の手」外科医は悪役であっても小説になるけれど、「放射線科医」は難しいのかなぁ。
外科医と戦う放射線科医の小説があったら読んでみたい。