人間は犬に食われるほど自由だ

なにも願わない手を合わせる空から恥が降る (文春文庫)千年少女 (Switch library)バリの雫
『メメント・モリ』のスライドショーはサイトで体験できるが、彼のメッセージが余すことなく表現されている。還暦の切れ目に3/3〜3/15 梅田の大丸ミュージアムで『藤原新也の聖地○旅と言葉の全軌跡展○』の展覧会が行われ、一筆で書いた御地蔵さんの似顔とサインは素敵なもので、思わず、ぼくの笑みはこぼれ、還暦同士がっちりと、握手することができました。良くも悪くも、彼には「藤原節」と揶揄される臭みがある。写真を見ても、ネコの絵を観ても、そして、エッセーであれ、コラムであれ、ネットで公開されているブログであれ、小説、旅行記、社会評論であろうと、そこに藤原新也が同じコードで変らず、歌を奏でる。ただ、祈りの顔になったのであろうか?身近に死と出会い、御遍路さんになって西国巡礼に旅立ち『なにも願わない手を合わせる』を上梓したが、そうか、藤原さんもやっと、現世に未練がなくなったかと思いきや、ネットのブログでは彼らしい怒りに満ちた言葉が相変わらず、生臭く発信されている。まだまだ、現役なのです。同行二人。そんな気持ちで時々、彼のブログを覗きます。

◆HP上に書き込みした彼の日記が、9.11の恥を契機として、一冊の本となり、2002年に単行本化されたものが、表紙も新たに文庫化されたのです。本書で執拗に語る藤原節は、当然、完結されたものでなく、最後のページから、藤原新也のHPにジャンプして、ロムして欲しい。例えば、最近の日記では『一億総無責任時代の中の“自己責任”の大合唱にはゾッとするな』では、自分の拘束された体験をカキコしている。彼もぼくも 昭和19年早生まれで、還暦である。その還暦の総決算で、回顧展の行脚をやっており、ぼくもの梅田大丸で握手と一筆書きのサインをしてもらい、いい記念になりました。「空から恥が降る」:9・11のテレビ映像を見て、あたまによぎったのは、1945.8.6の午前八時のヒロシマの上空であった。リトルボーイ命名された<原爆>を孕んだB29エノラゲイと僚機グレート・アーチストの2機の倒錯的なランデブーであった。天を仰ぎて唾す。彼はかって、心身とも乾き切った若い旅人として、アフガンの村の村人の美しさと饗応について語る。もはや、それらは、大国によって破壊された。桃源郷を唾す野蛮な勇気は恐るべき虚無である。虚無はテロの母である。一体、テロの生みの母は誰なのか?彼は野良子猫たちを拾い、とうとう、最後まで面倒を見る。HPを駆使して、メールで育ててくれる人達を捜し出す。この顛末のドキュメントはHP上ならではの同時性がある。彼の猫好きは筋金入りで、保坂和志さんもそうであるが、ズボラなぼくにはとても真似が出来ない。もう一度、あの美しい国、アフガンへと最後の大掛かりな旅を企画して飛び立とうとした時、バイクに撥ねられ、断念してベットでため息ついて、この本が生まれたのです。 還暦同士、冒険旅行は若い人達に譲って、「空からの恥」について言葉の刃を放って天に貢献するしかない。ー『空から恥が降る』(文春文庫)旧ブログ転載(5/27)ー

◆藤原さんのスライドショー『メメント・モリ』は是非とも観ていない方に観て欲しいなぁ…、 “Memento mori”に飛んで〜