逃げる

高橋源一郎ブログや、“kingさんの古井由吉『野川』の書評”を読んで、二つの戦争のことを考えました。勿論、ぼくが体験したのは二つ目の経済戦争であり、高度成長、バブルへと経済戦士は戦ったわけですが、ぼくは結局、逃げてばかりいたなぁ…。それが実感です。先日、会った友人のYにも、そのことを指摘され、誰かさんの前で「こいつは、夢ばかり追いやがって」、その癖、「こいつはどこでも生きられる」みたいな褒めているのか、腐しているのか、分りかねたが、結局、彼は心身症になるぐらいの全力投球で、仕事なり恋愛をしなかったと、ぼくを揶揄しているわけです。高橋さんは日記で先日、韓国へ行って、若者達にとって徴兵制が一種の通過儀礼の役割を果たし、二年間の軍隊生活で孤独に自己と正対し、娑婆に出る、そうすると、大概、付き合っていた恋人は去ってしまう。それによって、彼らは「大人になりおおせる」、その徴兵制の利点を指摘しているのです。彼は獄中経験があり、出所したら、付き合っていた彼女は去っていった。それから、ひどい言語障害に陥ったり、まさに、Yの言うごとく、心身症の地獄をみたわけですが、「おまえはそこまで、全力投球しなかった」と揶揄するわけです。
古井由吉は二番目の戦争を戦った男たちに戦後を描いているらしいが(kingさんの書評より)、ぼく自身、転勤命令で新しい職場でロッカー室の入り口で首を括ってしまったり、電車の中でいきなり、網棚によじ登って横になったり、金縛りにあって、電車を降りることが出来なくなったり、悲惨なことは目にし、聞きもした。Yが言うのにはぼくは、そうなる前に逃げることを選んだというのです。もう一人のアメリカの逃走兵ジェンキンス氏はどうなるのだろうか?「逃げることで大人になることだって出来ますよね」っと、鶴見俊輔さんに訊いてみたいですね。「逃げろ、逃げろ」⇒♪ポール・ニザンの“アデンアラビア”でしたか。