原爆の日

◆「原爆の日」の今日、全国紙のヘッドラインは来年五月に国連本部で「原爆展」を開催する予定と報じた。原爆展を巡っては被爆五十年にあたる95年、ワシントンのスミソニアン航空博物館が、広島に原爆を投下した爆撃機エノラゲイと原爆展を併設展示しようとしたら、米側の退役軍人反発に会い中止になった。政治や様々な問題が介入して「原爆展」ひとつ、思うようにゆかないのが実情だろう。そんな中で中沢啓治のコミック『はだしのゲン』は持続性を持ってメッセージを発信し続け、世界各国で翻訳され、子供達に読まれ続け、今も、その発信と運動は逞しく進行と成長を続けている。メディア媒体としてコミックの普遍性ある市場性に改めて驚く。正面切った政治の場面でより、かような周辺での動きが「原爆の悲惨さ」を伝えるにはよりよい効果があると思う。表題の「パパママ、ピカドンで、ハングリ−、ハングリ−」は、ぼくたちがガキの頃、進駐軍ジープを追って、叫んだ黄色い声です。チョコレートやチューインガムを期待して追いかけたのです。かすかに記憶しています。
武田徹さんの『ブログ』日課のとおりロムしたら、『はだしのゲン』のことを書いている。井伏鱒二『黒い雨』、と同じく夏休みの課題図書としてよく使われたが今はどうなんであろうか?『原爆の子』(絶版?)も学校の課外授業で映画鑑賞した。中沢啓治の“はだしのゲン”は原爆投下60周年ということで、世界各国で出版しようと言う話しが出ているそうです。最近、大学の図書館で占領軍が広島、呉で撮影した戦後焼け跡の記録フイルムを観たが、特に原爆被災者の克明なデーターと科学者たちの冷厳な眼で撮られた映像は正視するに躊躇いがありました。ぼくは武田さんが書いている

たとえばこれは通読して初めて知ったのだが、少年ジャンプ連載終了後も『はだしのゲン』は続いており、それは原爆弧児がヤクザの手下となって使われ、麻薬におぼれ、拳銃を持つようになる、まるで『仁義なき戦い』のサイドストーリーのような話なのだ。これは別の話なのではない。それもまた原爆がもたらした現実なのだろう。

◆ぼくが高校三年生の時(60年安保の翌年)、始めて高校文芸誌で投稿した50枚(ちゃんと、書いたのはこれ一作です)の創作のキーワードが[原爆]―[敗戦]―[占領]―[パパママピカドンで、ハングリーハングリー(最初に覚えたまっとうな言葉、歌)]―[日本で最初に女性の助役が呉で誕生]―[混血児(呉は混血の街とも言われた)]―[ヤクザ(拳銃によりヤクザ抗争が頻繁・仁義なき戦い)]―[朝鮮戦争]―[好景気]―[海上自衛隊]―[平和都市宣言]―[産業構造転換(問屋業の家業は倒産)]―[転校生(60年安保の夏)]…、そんな十七歳の自分史と時代史をドッキングさせた劇画のような小品でした。受験勉強中に一日で書き上げたもので、余程、受験勉強に退屈して、鬱屈して、ドーパミンがバーと出て、『脳内現象』茂木健一郎さんの言葉で言えば、〈フロー状態〉に陥ったのでしょう。過日、この作品を読みたくなって、捜してもらったが、見つかりませんでした。40年以上になるのですから、タイトルは忘れました。ストーリーは混血の女の子が主人公で、ラストシーンはその少女がバイクに乗って、踏み切りに突っ込むのです。大藪春彦の文体に似たハードボイルドな作風です(恥ずかしい)。先にかいたキーワードで物語が進行して行くのです。この作品を書いた前年に樺美智子が死んだ事件に多少とも触発されていたのはぼくだけでなく、同年の少年、少女たちは深く、時代の傷を負っていたと思います。60年の過去は短いですね。今年の春、呉の海上自衛艦イラクに向かって船出しました。戦後の様々な縛りが溶解して、60年後をゼロ年として、新しい歴史を作ろうとしているのでしょうか?そんな時期に『はだしのゲン』が様々の国で発売されることは歓迎すべきで、嬉しいニュースです。