村上春樹

◆戦後日本の文化はメインにしろ、サブにしろ、ポップなアメリカで、55年体制が崩壊してみれば、アメリカの影が鮮明に露呈して、アメリカ的パスク・ローマーナーの傘の下、何の躊躇もなく、真実一路、労組であれ、右左、上下とお金を追い求めた幸福な軌跡が綻び始めて、ふとわが身を振返ってその「金より他に何もない空隙」に空っ風が吹き始めた。そんな空洞にどうやら、用意された定番メニューの「自分だけ責任を負わないナショナリズム」が「他人に責任を転嫁する都合の良いナショナリズム」が、みんなの顔色を窺いながら穴から首を出し始めている。村上春樹は前の世代が戦争、学生運動にしろ、何らかの体験に裏付けられた内面を表現することで、文学に繋がったわけだが、春樹は行動後でなく、未だ未決定の「行動保留」の宙ぶらりんの青春を描くことで、学生運動終焉の季節後、いわゆるノンポリと言われた若者達に受け入れられ、ポストモダンを生き延びた。でも、少なくとも、アイビーやコンチでジャズを聴き、美味しい珈琲、料理にも目がなく、自分でも作ってしまう。彼のお行儀の良い振舞いは女性陣には好評で、ファン層が増えても裏切らず、作品をコンスタントに発表し続けた。そんな一歩一歩を積み重ね、日当たりの良いポップなアメリカを翻訳して「ハルキ・ワールド」を徐々に作り上げていった。大爆発した『ノルウェイの森』以降は第二期で、彼のこちらと、あちらの、あいまいな時空間は不思議な浮遊感があり、不安に満ちたリアル感を提示してゆく。オウムの事件が起きてみれば、起こるべくして起きたという歴史認識があったのか、彼は表現者としての自省からか『アンダーグラウンド』というノンフイクションを書くが、村上春樹の自意識が強烈に露呈して、ハルキのドキュメントになってしまっている。被害者のインタビューでも、その語り口はハルキ語になっている。本人はオウム事件の与えた試練を重要性を<極私的>に語るが、自分の文体を変換するような影響は受けていないらしい。それ以降を第三期として『海辺のカフカ』を読んでも、手品師としてのストリーテイラー振りは益々磨きがかかって、予想通りベストセラーになってしまったが、今度の新刊はどんな物語なのであろうか、作家デビュー25周年記念書下ろしで来月発売である。『アフターダーク』はネット上で早々と予約受付中。ベストセラーになるのは間違いないのであろうが、だからと言って、<純>文学畑が拡がったと言えないのは、金原ひとみ、綿矢リサの芥川授賞で話題になり、売れもしても、古典をじっくり読んでみようかと、文学に目覚めたという動機付けになりもしないのと、ほぼ事情は同じでしょう。ただ村上春樹を評価しようが、しまいが、この国の文化状況の水準を等身大に照らしている作品には間違いないと思う。
♪『アフターダーク』♪『村上春樹フェア』