日野啓三/ポスト911

あっけなく崩れ落ちた二本の世界貿易センタービルとそっくりの超高層ビルを建てる、と言い出している企業があると、CNNテレビのアナウサーがうれしそうな声で言っていたが、旧来のマンハッタンの傲然とおぞましい夜景にかわるべき新しい未来風景を私たちはつくり出さねばならないのだ。旅客機が二機、体当たりをしたぐらいで脆くも崩落したように、これまでのマンハッタン風景は、遠くから眺めると乱立する水晶の結晶群を思わせる硬質の鉱物的風景のように見えながら、内実の構造は全くヤワだった。新しいミレニアムのマンハッタン風景は生物的なしなやかさを含んだものでなければならない気がする。繊細でしなやかで無限の陰影を秘め、生命そのものの言い難い憂愁の気配を帯びて、不断に変化し老化さえしながら常に未来と夢と危険を実感させるような風景。いつまで眺めても飽きずに虚しさといじらしさを惻々と感じさせ続けるような…。/そういう理想的な自己イメージを回復できない限り、人類と文明の夕暮れも近いかもしれない。自己否定も含む自己変容の無限の可能性こそ人類の本質だ。そのみずみずしく柔軟な意志。/(これでもう私たちは世界一だ)/といぎたなく自足したとき、人類という理念は死ぬ。/理念なき人類は亡霊でさえないであろう。》=『落葉 神の小さな庭で』(集英社)より=

日野啓三は02年10月14日に逝去した。ぼくは日野さんの闘病生活を繰り返しながら、かってのベトナムでの不気味な戦争の闇を回想しながら、今の世界と対峙して、再生の物語を模索した作家日野啓三の言葉に、ぼく自身、入院生活の折、とても勇気づけられた。御茶ノ水の病室から見た、東京タワー、富士山の動じない威容に昨日の世界は存続し続けているんだという精神の安定を保っていたが、その人工物たるタワーはともかく、富士の山であろうと、突然、消え去るかもしれない。それでも、この世界を肯定できるか、それは自信がないが、理念として肯定したいと思う。ガラスを隔てた大部屋から眺める世界は、何もかも懐かしく美しすぎた。それが、明日、廃墟になろうとも…。
「『落葉 神の小さな庭で』ぼくの拙レビュー」『書くことの秘儀』
あの日、たけちよさんのニューヨーク
『9・11』『bk1特集』