室生犀星/ふるさとは遠きにありて思ふもの

ちゅうこさんのおかげで、『杏っ子』のことを想い出しました。1958年に映画化されたもので、再見したいとチェックしたが、レンタルでは無理で後は図書館でしょうか、

奥野健男著『現代文学風土記』(筑摩日本文学体系・別冊)によれば、―城下町金沢から泉鏡花徳田秋声室生犀星の三大文豪が生まれている。[…]小松伸六が金沢を『日本のワイマール』(ゲーテ誕生の地)と呼んでいたが、[…]なぜ金沢が明治から大正にかけてすぐれた文学者たち生み出したのであろうか。加賀は北陸の雄藩として江戸時代からさまざまな文化・芸能が栄えた。本阿弥光悦、後藤顕乗、小堀遠州などの芸術家が集まり、能・狂言茶の湯・庭・俳句・美術工芸などが今日もはなはだ盛んである。だがその日本一の前田藩は維新の時、全く動かず、人々は明治の政財界に活躍する機会を失ってしまった。そこで内向し鬱積したエネルギーがややデカタンスの色を帯びながら学問・文学・芸術の方面で爆発したのではなかろうか。鏡花、秋声、犀星をうみ出した時代には、藤沢清造、尾山篤二郎、中西梧堂、島田清次郎など多くの文学者が同じ渦巻きの中で競いあっていたのである―
室生犀星は二人に遅れて1889年犀川近くの裏千日町で生まれた。母が家の女中であったという外聞をはばかり、近所の赤井ハツの私生児として届けられた。ハツは雨宝院の住職の内妻の莫連女で犀星他三人いたもらい子たちを虐待した。生母は父の死と共に追い出され、行方不明となってしまった。かような履歴が彼の文学に胚胎している。非行少年は劣等のまま小学校も中途退学したが、これしかないという、彼の文学修業は続いた。やがて、少年の詩は詩壇に注目され、前橋にいる無名の青年萩原朔太郎との文通が始まる。この二人によって日本の近代詩は革命的な発展を遂げたのです。

金沢のことなら、shohojiさんが詳しいですね。鏡花を初め、犀星は翻訳されていないのであろうか…。

「あんずよ/花着け/地ぞ早やに輝け/あんずよ花着け/あんずよ燃えよ/ああ あんずよ花着け」―抒情小曲集―