レメディオス・バロとの遭遇

7月2日記:反社会学講座のやりとりが、発展して、「山口二矢」となり、「少年」となり、「榎本香菜子ギャラリー」から、「レディオス・バロ」に行当たりました。ぼくはこの画家のことを知らなかったのですが、kingさんに色々教わりました。それで、新しきフレームを設けました。バロに興味のある方は遠慮なくコメント下さい。でも、社会学稲葉振一郎さんが、バロの素敵なサイトを管理しているのには、驚きました。⇒ 『レメディオス・バロ/ギャラリー』、そして、フリーダ・カーロレオノーラ・キャリントンとの 『メキシコ女性のシュールレアリストたち』の美術展が去年、開催されていました。
 参照:♪ 『フリーダ』(ぴぴのシネマ日記より) 、♪『フリーダ・カーロbk1書評』(ぴぴさん)⇒shohojiさんからコメントで、メキシコに在住のおり、フリーダとトロッキーの家の近くに住んでいたとのこと、 『そのページです』♪、
★ところで、“shohojiさん”から、コメントで、上記のページ以外に、フリーダに触れた日記の案内があったので、ここにコピペします。2003年9月22日です。

[……]ネチズン・カレッジのメキシコ便りを読んで、とても懐かしい思いがした。フリーダ・カーロの家とトロツキーの家、何回足を運んだことだろう。フリーダ・カーロの家みたいな家に住みたいと、ずーっと思っている。いつか実現できたらいいな・・・。トロツキーの家、暗殺者に怯えた亡命者の暮らしというものが迫ってくる。見張り塔に梯子で登ると、昔は川だったリオ・チュルブスコという大きな自動車道が見下ろせた。安全のために、川を背にした家に暮らしたわけだ。
 リオはスペイン語で川の意味。リオという名のつく道はこの他にもたくさんあって、その昔は全部運河だった。街中に運河が流れていたわけで、それはアステカ文明のなごり。エルナン・コルテスたちが初めてアステカ文明の地にたどり着いた時の驚きは、いったいどんなものだっただろう。タイム・マシンでもあれば、私もこの目で当時のメキシコ・シティーを見てみたいものだ。きっと、信じられない美しさだったことだろう。

  • 追記:訳者は志村正雄ですが、解注が付記されて、なんと、レメディオス・バロについて八頁も解説をしている。多分、このエディパが回想する展覧会は1962年6月、メキシコ・シティにあるファン・マルティン画廊の個展かもしれないと推理しています。