大阪城公園は菊日和でした

Yと昼飯を一緒に喰うために、京橋に出る。待ち合わせに時間があったので、紀伊国屋京橋店に寄る。思想・哲学の棚の平台に内田樹の新刊が数点、平積みされている。去年と同じ時期にこんなに、内田樹が人文棚を占領していることはなかった。まあ、ぼくもここで、いくらか、内田樹の本を購入して貢献しているのですが、それにしても、次から次へと新刊が目白押しだなあ、相変わらずの内田節“おじさん的思考法”なので、多分、似たバージョンだろうと、予想しているので、買うつもりもなく、平台を見ていると、白っぽい装丁で赤字で『死と身体』とそそるタイトルである。版元はと確認すると、医学書院、医書の専門出版社ではないか、“シリーズ ケアをひらく”という叢書の一冊として発行されたのです。帯の惹起が「人間は死んだ者とも語り合うことができる。」とある。―<ことば>の通じない「死」と「身体」の世界こそが、人をコミュニケーションへと駆り立てる。―なるほど、え!と思ってしまう。
飯代に使う予定なので、“買っちゃあいけない”と呪文を唱えながら、ぱらぱらと立ち読みしたら、とまらなくなりました。大体、一頁目が[わかりにくいまえがき]で始まり、

仁義なき戦い』で菅原文太小林旭に向かって、「のうアキラ、こんなんが村岡の跡目継いだらいいじゃないの」というときの「こんなん」というのは、「こちら」というのが原義であろうが、文脈を勘案するに「あなた」の意らしく思われる。どうして「こちら」が「あなた」になるのかよくわからない。

冒頭で「適当」は正確にどういう意味であるか、内田さんはスイスから来たエリザベス君に問いつめられるのである。ぼくは適当な人間なので、胸に手を当てて読み進むにつれて、待ち合わせの時間が迫り、とうとう、泣く泣く、この本を購入するハメになりました

だいぶ前に見たテレビドラマで、主人公の少年(前田耕陽)が好きな少女(中山美穂)に向かって「オレのこと好き?」と訊ねる場面があった。中山美穂が「うん、好きよ」と答えると、前田クンはその答えに納得せず、こう言った。「その『好き』じゃなくて!」

生きた言葉はそんな矛盾を孕んだものでしょう。
死と身体―コミュニケーションの磁場 (シリーズ ケアをひらく)他者と死者―ラカンによるレヴィナス街場の現代思想私の身体は頭がいい―非中枢的身体論死と身体―コミュニケーションの磁場 (シリーズ ケアをひらく)東京ファイティングキッズ「おじさん」的思考