1997年、ミッチャンが帰ってきたよ!

 昨日の流れで熊井啓の『愛する(1997)』をレンタルして観ました。記憶が遠くになってしまった浦山桐郎の『私が棄てた女』より、深いところで、身体が震えてしまった。それは三十年という時がぼくをかような映画にシンクロするような感性にいつの間にかしてしまったのか。Yの感情移入の深さが想像出来た。武田徹さんの『隔離という病』を再々読したくなった。本棚から引き出すと、本の間に武田徹ブログのプリントがありました。タイトルは『リビングサイエンス』(3/5)です。

ーリビングサイエンスフォーラムの明るい楽しい雰囲気の中で一人ハンセン病に思いをはせる。ハンセン病者患者達はまったくもって四面楚歌だった。医学界も、そして市民社会さえも彼らの味方ではなかった。ことほどさように市民社会は専門家と共闘して「間違う」ことがある。そこに共犯の構図があり得る。だとすれば「市民に開かれた科学」というのは、悪しきポピュリズムに足をひっぱられる可能性にだって開かれるはずだ。誰一人自分の味方にはならない。誰もが病に罹った自分からの感染を怖れ、その姿形におののき、いち早くこの世から消えることを望む。そんな境遇の中で隔離を強いられたハンセン病者達の気持ちはいかほどだったろう。そんなことをついつい考えてしまうので、ぼくは「市民のための科学」とか無垢に言う気になれない。[……]

ぼくは戦後民主主義教育をどっぷりと、物心ついた頃から享受していたわけだが、その胡散臭さを体験として身に染む日常生活の場で、戦うツールとして、“虚妄の民主主義”は実効性があったことは間違いない。ただ、それが金属疲労を起こし、55年体制が崩壊したあとも、検証しないで、民主主義はアメリカの世界戦略の表裏一体のツールとして、ドルを支える“死者のいないヒューマニズム”にいつの間にか変貌している。いつから、考えるようになったのか、随分前だ。“彼岸の民主主義”っていうタームは失笑されるかもしれない。ただ、“ドルの民主主義”に本気で闘おうと思ったら、これしかない、又は他に何かあるであろうか?本気で闘おうとしないのに、ポーズだけで、パイの分捕り合戦をするなら、死(生)より、金が大事だと赤裸々に言って欲しい。安易にヒューマニズムを唱えて欲しくない。まあ、ぼくは失うべきものが殆どゼロに近いから、よりゼロに近い地点から広言出来るのだろう。心して沈黙しなければと思いつつ、時々こんな風に言ってしまう。

『第一日の孤独』(76年)
誰にも手伝ってもらえない生/誰にも手伝ってもらえない死が/この明るすぎる昼の中にある/生きていること/すべての重さの中から血をしたたらせて/ひとりで立ち上がること/生れた混沌/立ち上がった混沌のめぐり―『塔和子全詩集』(全三巻編集工房ノア)より―

塔さんは元ハンセン病患者ですが、ドキュメンタリー映画『風の舞〜闇を拓く光の詩』(宮崎信恵監督、朗読吉永小百合)で詩人の生き様を観ることが出来る。
岸田今日子の言葉、私が好きな人は、みっちゃんのような人、Yもおそらく、そう呟いたに違いない。
 この映画の美術監督木村威夫である。先日、大阪十三の『第七藝術劇場』で木村威夫回顧展が開かれている。彼は『夢幻彷徨』という第一回監督作品を今年、上映している。これも観たい。デジタルを駆使して表現主義的に戦後史を描いたものらしい。
いのちの詩―塔和子詩選集塔和子全詩集 (第1巻)大地―塔和子詩集映画美術―擬景・借景・嘘百景