天野可淡・生も死もない

◆「葉っぱがアフォード・阿呆ダンス」の過去ログからですが、“巻き助” さんから、[榎本香菜子の絵]についてコメントが、僕に十年以上前に夭折した人形画家「天野可淡」を思い出しました。彼女の絵に「カタンドール」を観たのか、さっそく、「天野可淡」で検索したら、熱いデーターが沢山ある。しかし、DVDは廃盤、本は絶版、復刊の期待を込めたサイトもありました。そのうちから、気になったものをピックアップします。しかし、残念だった。僕も写真集を持っていたのです。ずい分前に処分したのです。⇒『復刊投票』です。
『文明の内なる衝突』(187頁)で大澤は人形についてこう書いている。

絶滅収容所において、ユダヤ人は、同僚の死体を、「遺体」と呼ぶことが許されなかったということ、それを“Figuren”と呼ぶことが強いられていた、ということである。Fuigurenとは、「姿形」あるいは「人形」ということである。「死体」であるということは、かって生きていたということ、つまり生きた人間であったということを含意する。そうであるとすれば、ナチスにとって、人間ならざるユダヤ人の死体はFuigurenであるほかはない。つまり、ユダヤ人からは、死さえも奪われたいたのです。

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