三代目/1905年の分水嶺

ドナルド・キーン瀬戸内寂聴鶴見俊輔の『同時代を生きて』でやはり、一番露出度の多いのは鶴見俊輔さんですが、ドナルド・キーンさんの『明治天皇 上、下巻』を最大限に評価し、ぼくも、熱くなって読了した本です。鶴見さんは1854年の安政和親条約調印の日本開国から、現在まで、百五十年を俯瞰している。<極私的>にも祖父の後藤新平(初代)、父の鶴見裕輔(二代目)、鶴見俊輔(三代目)のそれぞれの生き方を相対化して、『戦争が遺したもの』でも、『同時代を生きて』でも、斉藤隆夫等を除いて、二代目世代の一番主義を執拗に弾劾している。1905年の日露戦争終結を転換点として、日本はおかしくなったという認識があるのです。第二次世界大戦、戦後の高度成長時代、バブルと、そして、崩壊と衰退への道をひたすら突き進んでいる。そんな認識です。

右であれ、左であれ、三代目として、この二代目の「何の哲学のない」一番主義を切り崩そうと、それは又、親父に刃を突きつけることでもあったが、しかし、この国の多数は「金にまみれる」ことを喜んで選択した。それが、結局、長い目でこの国を衰退に導く。年金問題はその象徴であろう。次の四代目以降に問題を借金を先送りしている。そして、一方で返してもらえる当てのない金をアメリカに貸している。「金にまみれても、実体のない偽札の金」です。先日、読書会で立岩真也の『自由の平等』のテーゼ「働ける人が働き、必要な人がとる」にしても、大きな借金をしている法人が一番、必要な人であって、貧乏人であるのか、そういう判断があったから、りそな銀行などは公的資金を導入されたわけだし、個人でも、借金王を標榜する某有名大歌手は超貧乏人であろうが、いい生活をしているみたいだ。この国だけでなく、グローバルな経済活動はクレジッド社会で、ローン回転している。「ねずみ講社会」なのだ。現ナマがないと、ものを買わないでは、この世界は破綻するのだろうが、単に破綻を先送りするだけではないだろうか?愚直に現ナマ主義を生きる人は、生き辛い世であるが、婆抜きゲームで、みんな楽しんで、クレジッドカードを玩んでいるんでしょう。それが、担保するものは組織であり、国家であり、個人の信用ではない。

極論すれば、「自己責任」を言う事の出来る人はクレジッドカードに依存しない、ほんの一握りの人達でしょう。資本制をOSとしてインストールした模造自己責任なのです。勿論、クレジッド社会が未来まで取り込んだ、時間と空間を最大限拡げ、より普遍化を成し遂げ、現時点での最大限の富を飲み干すのであるが、かような普遍化はカードよりジャンプして遺伝子情報が信用の担保になる世界は、いつでも実行可能である。ただ、それに違和感なく飛び込む躊躇が社会哲学、倫理に、まだ残存しているのであろう。

恐らく、鶴見さんのいう1905年以前の世界、五十年間の多分、「美しいもの」の残像が、その流れに対して蹈鞴踏んでいる。それも、段々に侵食され、四代目以降は一気に加速して、フーコーの言う生権力に基づいた「人口としての家畜化」が進行するのであろう。家畜であっても、苦痛のない気持ちのいい社会ならいいではないか、そんな森岡正博さんの言う「無痛文明化」を享受するしか“生き方”の選択はないのか?クレジットなクレイジーな社会を無効化するってどういうことか?

いくら、考えても、この国は、というか、そんな世界は、滅びるしかないのか、もし、それを回避するには、どうすればいいのか?そのヒントを読解できる『明治天皇』、『戦争が遺したもの』、『同時代を生きて』だと思う。ところで、ぼくも三代目であるが、三代目がしっかりしないと、四代目以降は滅びの道を歩む。でも、いまだに三代目小泉、ブッシュに投票する人が多数である。ぼくのレビューより、鶴見さんの饒舌な口説の方が面白い。一部抜粋引用してみました。

  ★1905年の転換★
鶴見:私は、いまのインテリを認めません。やはり、親父をモデルにしたこの鋳型が、いまも日本に通用していると思っているのです。そりゃあ、知能テストをやれば高いですよ。だけど、問題はそれじゃないんだ。/明治天皇をそのコンテクストに置くと、明治もまた幕末からくる伝統なんです。あれが面白いんですね。私は、キーンさんの本を読んで、玉松操という人に初めてぶつかったんです。岩倉(具視)公にブレーンで、儒学によって明治天皇の取るべき道のメッセージを書いているんだ。明治天皇は若いですから、そのこだまがずーつと続いて、「軍人勅諭」までいくんです。そして明治天皇のあとは切れるんじゃないかと思うんです。/私が「軍人勅諭」の問題を始めて知ったのは、竹内好の書いた「屈辱の事件」という文章でした。敗戦を、中隊長から中国の山奥で聞くんです。そのときに中隊長が、いつも読んでいる「軍人勅諭」を、ちょいと違った読み方をしたというんです。アクセントが違ったんです。それは、「我国の稜威(みゐつ)振(ふる)はさることあらは汝等能(よ)く朕と其憂(うれひ)を共にせよ」、つまり臣民、汝らも自分と共にしてくれと。そこにあるのは、幼い天皇の叫びなんです。この国が駄目になっちゃうかもしれないというんですね。それを竹内さんは、山の中で聞いていて、明治の精神に触れたような気がした。居丈高な、そのあとの昭和天皇勅語とは、ぜんぜん違うタイプでしょう。

キーン:そうです。

鶴見:「これは大変なことになった。駄目かもしれん。そのときも俺を助けてくれ」ということです。その肉声が、竹内さんに届いたんですね。

キーン:そうです。

鶴見:私は、竹内さんの文章を後れて読んだんですが、びっくりしたんです。そのときまで、私の耳にはその肉声は届いたことがないんだ。キーンさんの本を読むと、玉松操に、既にその原型がある。そのまた原型は、横井小楠なんですね。

キーン:はい、そうです。

鶴見:横井小楠という人は、この百五十年を考えると、ものすごく偉大な人ですね。だから、横井小楠の位置がどんどんあがってくるんです。彼は、キリスト教を容認するということで殺されるんですが、実は、彼の思想というのは「儒学によって立つ」というものですね。

 
キーン:そうですね。

鶴見:儒学によって立つ人間にとって、アメリカやヨーロッパなんて……。別にそれに押し負けることなどないという、すごい思想なんですよ。このことを、松浦玲のように近ごろになって見る人も出てきたわけです。そして、その流れが玉松操からあって、「軍人勅諭」を最後にして、この流れが断たれてしまう。そのあとは居丈高になる。日清・日露のときは、「国際法は守れ」といっていますが、そのあとはそれもなくなっちゃう。/だから、この百五十年のどこでこんなに悪くなったのかをじっと考えると、私は1905年だと思う。それからの長い衰退は、これからも続く。そのなかで、自分個人はどうして生きられるかという問題がずっとあるんです。「日本に帰る」と決心したことも、その問題にからむんです。アメリカの牢屋に入っているんだけれども、その問題が出てくるんです。/六月十日に交換船が出る、乗るか、乗らないかというわけです。私は「乗る」と言った。どうしてかというと、「負けるときに、負ける側にいたい」という、なんだかよくわからない、まったく不合理な気分からです。それだけです。日本が勝つなんて、ぜんぜん思ったことはないですし、日本が正しいと思ったこともない。だけど、そういう決断をした。(略)

『同時代を生きて』の175、176頁よりー 、⇒『戦争が遺したもの』 ー旧ブログ(5/30記)より転載
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