ピアトリクス・ポター/〒世界と共棲み、郵便屋さん、

ビアトリクス・ポター (福音館の単行本)ピーターラビット―「ピーターラビットのおはなし」より (しかけえほん)なんじですか?ピーターラビット (とけいつきしかけえほん)
年の歳になると、メールでなく郵便屋さんを利用したくなる。賀状は印刷しているのですが、まだ宛名は書いていない、手書きで落書きみたいにちょこちょこと、書きたくなります。楽しいんだが時間がかかります。クリスマスカードは例年、パスしています。そんな連想で今日は旧ブログ(5/23)のネタは“郵便”で、転載。

ピアトリクス・ポターの『ピーターラビットの絵本』は子どもたちに愛されているが、ポターは「ラファエル前派」のミレイの影響を大きく受けたらしい。彼の「オフィーリア」は日本でも馴染の名画であるが、ポターの父の友人でもあった。少女時代の彼女の絵を「観察力」のある絵と評してくれたらしい。それ以上に彼女に影響を与えたのが一人の郵便配達夫である。彼女の動植物に関する並々ならず観察と博識は郵便配達夫でもある博物学者チャールス・マッキントッシュとの出会い(1892年)と彼の指導の賜である。チャールスは手紙を配りながら、野山を歩き、瞑想と観察の日々で、見事な研究の成果をポターに教授し、配達した。そう言えば、ぼくの大好きな作家である故色川武大は郵便配達夫になりたかったらしい。色川さんといい、チャールスといい、そして、この映画の『山の郵便配達』といい、ある種の求道者に見えてしまうのは、この映画の山村の圧倒的な映像の美しさによるのかもしれない。吟遊詩人のpipi姫さんは、“この映画評で”「労働者」として郵便配達夫を中国の時代背景の中で捉えているが、ぼくがまず、連想したのは、「チャールス・マッキントッシュ」であった。偏な映画鑑賞であるが、公式でない裏読みは今度、三島由紀夫賞をもらった矢作俊彦『ららら科学の子』にもジャンプした。主人公は三十年近くも毛沢東下放政策で中国の山奥で百姓をするのだが、かような場所なのだろうなぁと、思いを寄せることが出来のです。

今日、bk1の書評投稿を覗くと、パティロさんが、「ゆうびんやさん」について書いている。ー(略)その彼女の『おてがみです』を読むと、以前6年間ほど暮らした村の、お隣に住んでいたジョゼフと、郵便やさんのダニエルを思い出す。ほとんど起伏のない平べったい土地、ネーデルランドの村はまさしくこの絵本そのままの風景。ただ道路がアスファルトに舗装され、自動車がいっぱい走っている今、雰囲気はずいぶんと違っている。でも、一番変わってしまったのが、人びとの生活のリズムなのだろう。ところがダニエルの仕事ぶりはこの絵本のままだった。朝の7時に郵便局から自転車で出発しても、ほんの2キロメートルくらいしか離れていない我が家までたどり着く時は、もう正午。途中で振舞われるビールのせいで、いつも酔っ払って真っ赤な顔をしていた。とくにお気に入りが当時80歳くらいのジョゼフの家で、一杯やりながら世間話をするのだった。一昔前、郵便やさんはこうやって村人の生活の一部で、お年寄りのために薬局で薬を買ってきてあげたり、年金を配達したり、ちょっとしたソーシャル・ワーカーとしての役割も果たしていたのだった。ー

ベルギーもイギリスも中国も日本も、恐らく他の国も郵便屋さんを介して、様々な心温まるエピソードが沢山、あったであろうと、想像する。誇り高い郵便配達夫が眼に浮かぶ。追記:ぴぴさんが、郵便屋さんの映画 『イル・ポスチーノ』を紹介してくれましたが、未見です。レンタルでなないだろうなぁ…。 『The Postman』カーペンターズも聴きたくなりますね。

♪“ぽまさん”からメールで郵便配達夫って映画や文学のモチーフに、「独特の‘そそられる’雰囲気がありますね」と返信があり、こんなテキストを紹介してくれました。#ジャック・タチの「のんき大将」,#「便配達夫シュヴァルの理想宮」,#『巻き助さんのイル・ポスチーノ』