武田徹アジールな一人ジャーナリズム

正月明けに、一人ジャーナリズムを実践課題として、『東大先端研ジャーナリスト養成コース』の紹介が武田徹サイトであったが、これはまさに武田徹を師として、「学ぶ作法」であろう。

弟子が師から学ぶのは実定的な知識や情報ではない。聖句から無限の叡智を引き出すための「作法」である。もし師が知識や情報を教えたのであれば、優れた弟子であれば、どこかの段階で師を凌駕し、師を軽んじることもありうる。しかし、タルムードの師弟関係ではそのようなことは起こり得ない。というのは、弟子が師から学ぶのは、師がさらにその師から律法を学んだときの「学ぶ作法」だからである。―『他者と死者』52頁より―

メディアリテラシーの根底にあるのはそのような作法であろう。安易に世間体に流される愚を回避できる技を身に着けたいと思っているオヤジにとって、かような修養の場が地道に立ち上がることは大歓迎である。特にネットがそのようなツールとして得体の知れなさがあるものの、世間体からも権力からも位相の違った文脈でアジールな場として、ネットは非常に効果的ではないかと、最近、思い始めました。でも、ぼくのネットスキルは心もとない。そんな新しい場として社会学者の原田達さんの立ち上がったブログを訪問することが出来ました。楽しみが増えました。♪♪『シラバス作り』⇒これから、どんどん、お邪魔させてもらいます。