「いろは言海」Cafe

言海 (ちくま学芸文庫)文明論之概略 (岩波文庫)啄木・ローマ字日記 (岩波文庫 緑 54-4)シャープ 電子辞書 PW-9910 (50コンテンツ, 多辞書モデル)

今、拡大鏡を磨いている。老眼だけでは心許なく埃にまみれて引き出しに仕舞い込んだ安物の拡大鏡をやっと捜し当て息をかけながら磨いているのです。それもこれも、本書の魅力にフェチな、倒錯を感じて、拡大鏡で、もっと、もっと、知りたくなったのです。老眼だけでも、読めなくはない、でも、大仰な道具立てで読めば気分がもうワンランクアップして、言海の言葉の滴りが溢れ出る予感がしたので、今、一生懸命、拡大鏡を磨いているのです。1349頁の5センチのぶ厚さは子豚の愛らしさがある。印刷製本技術の進歩の証を再確認するにも良い。文庫になったからと言って、活字が小さくなったわけではない。明治37年に出た『言海』小型版の昭和6年の刷りをそのままの大きさで覆製したものである。これまで百年にわたり何百万人、何千万人かの人々が愛用したと言う。その積み重なった層の垢の匂いまで、五感を刺激しそうな、良くも悪くも、この国が詰まっているパンドラの函にも思えてくる。>>

◆こんな前振りで『言海』のレビューアップをbk1にしているのですが、とうとう、『言海』を手放しました。どんなに素晴しい言葉の宝石函でも、言葉は触ったり、嗅いだり、食べたりして味合うことは無理です。虫眼鏡でも読めないのです。それで、う〜んと、健康な視力を持っている人に譲りました。広辞苑なら老眼でまだ読めるのですが、まだ早いホワイトチョコレートの積りで贈りました。そう言えば、この文庫の『言海』はチョコレートの塊に似ていますね。チョコレートの連想で脳科学者の茂木健一郎さんが、本日、“The Qualia Cafe”をオープンしましたね、酒大好きの茂木さんがお洒落な談話室をつくったのです。チョコレートと珈琲の好きな人は訪問したらいかがですか?
◆今、石川茂利夫の『国語辞書事件簿』(草思社)を捲っているのですが、『言海』と福沢諭吉にまつわるエピソードを紹介しています。大槻文彦福沢諭吉の自宅を訪れて刊行したばかりの『言海』を進呈したのです。ところが、福沢先生、大槻さんに小言を言う。庶民のアルファベットは「いろは」であるのに『言海』の言の順が五十音順であるのを批判しているのです。いろは四十七文字を知れば、1、2、3、の順序の代わりだとか、下足番の木札、無尽講の籤、など皆この法が用いられていると、本来五十音韻は学問(サイエンス)、いろはは智賢(ノウレジ)である。だから、まず実用の便としていろはを大事にすべきであり、辞書もまた庶民のためのものでなければならないとして、『言海』が採用した五十音に顔を顰めたのです。実学福沢諭吉らしい逸話ですが、パソコンのキーボードで五十音で操作している人は珍なる人でしょう。ローマ字で変換するのが当たり前ですが、昔、若い頃、店で本だけでなくタイプライターを売っていたので、営業マンに頼んで、英文のキーを取り外して、ひらかなの五十音のキーに総入れ替えしてもらったことがあります。英文タイプライターを改造した和文タイプライターです。どこにもないタイプライターだと悦に入って2、3回、それで、葉書にタイプ打ちをしましたが、すぐに面倒になり、とうとう、その変造和文タイプライターはゴミとなりました。最初から、英文が無理なら、石川啄木並にローマ字日記でも挑戦していれば、少しは長続きしたと思います。五十音ってホンマに両手に余りますね。もし、今、福沢諭吉が存命なら、ローマ字を初等教育から推奨するのであろうか…。