ジョルジュ・バタイユ/塚本晋也♪ああ、いい匂い

マダム・エドワルダ (角川文庫)エロティシズム (ちくま学芸文庫)バタイユ―魅惑する思想 (哲学の現代を読む 1)ヴィタール プレミアム・エディション (初回限定生産) [DVD]
久しぶりに梅田に出ました。ブックファーストに注文していた『レヴィナス・コレクション』(ちくま学芸文庫)が入荷。雑誌売場で『風の旅人12号』を購入。ぴぴさんところで、「バタイユ読書会」をやるとのこと、ネット参加でもやろうかと思い、『マダム・エドワルド』(角川文庫)はぼくの本棚にあったのですが、何にもない、処分整理したんですね、ブックファーストの人文コーナーを覗くと平台に酒井健の『バタイユー魅惑する思想ー』が平積みでした。そう言えば、ネット参加表明したソネアキラさんは何十年前の卒論に「ジョルジュ・バタイユ」を書いたので、そのテキストを提供するとのこと。こういうとき、ネットは便利がいいですね。その彼のブログで酒井健さんについて書いていたのですが、ドンぴしゃりのタイミングです。ひょっとして、このコーナーを担当しているNさんは読者会のことを知っているのかなと探したらいない。風邪でオヤスミらしい。気をつけて下さい。あと、『宗教の理論』(ちくま学芸文庫)を買いました。それからガーデンシネマで塚本晋也監督『ヴィタール』を観る。
『マシーン日記』の巻き助さんと東西からこの映画を応援したいですね、観客は少なかった、でも、映画は素晴しい。クオリア日記で茂木さんが“悪貨が良貨を駆逐する”とエントリーしていたが、哀しいかな説得力があります。偽五百円玉はどうなっているの…。

「初めて見た遺体は、森の中の湿った木のような印象でした」と塚本監督は言う。[…]
「画家であり、科学者であり、万物の天才だったレオナルド・ダ・ヴィンチは、人間の身体を解剖し、その仕組みを細部まで克明にデッサンした。肉体の仕組みを執拗に見つめることで、世界の仕組みを知ろうとしたのだと思うのです。今回の映画では、そのダ・ヴィンチを現代に蘇らせたいと考えました」[…]「解剖実習を見学して、真っ先にわく疑問があります。それは、人の意識はどこにあるのか、ということです。でも、そのことだけは、優秀な先生方に聞いても明瞭な答えは得られない。しかし、それは必ず肉体と関わりがあるはずである。バーチャルリアリティの時代、意識というものはますます曖昧になってきているのではないか。今回の映画では、その意識というもののどうしようもない不確かさを描いてみようと思いました。それと不確かではあるけれど、その中に真実というものもまちがいなく隠されているにちがいないという思いですね」−『ビッグイシュー日本版19号』塚本晋也インタビュー記事よりー

こんな談話があると、何やら“存在論的な”こむつかしい映画ではないかと、敬遠する方がいるかもしれませんが、浅野忠信の“あちらの世界”と“こちらの世界”を空間移動だけでなく、記憶喪失という時間移動も加味されて、その微妙な差異を大仰でなく、意識の塊がふにゃふにゃの無定形さを自然に身体全体で表現しなくてはならない課題を見事に演じきっている。そういう“ふにゃふにゃ”の男が定形なものとして“固くなっていく”、遺体解剖を入り口に死者(柄本奈美)、生者(kiki)との三角関係のラブストリーを違和なく僕に見せてくれました。ぼくが、一番、感動したことは、監督がそのことを明確に意識して撮ったのかどうか、分からないが、死者が“生き生きとしていた”こと、生者が“死の影を踏んでいたこと”です。死体=自然=柄本奈美の激しいダンスは、ぼくに歌舞伎の舞踊<鏡獅子>を連想しました。だからと言って、別段、歌舞伎に詳しくないのですが、この映画は現代思想脳科学の最先端を行くテーマに触れる気もするのですが、映画は不思議と古典的な香りがしました。語弊があるかもしえませんが、泉鏡花の世界です。だから、『坂東玉三郎の鏡獅子』何て、映画を観ながらジャンプしたのでしょう。
何て印象的なラストシーンで、そして最後のセリフ、「ああ、いい匂い…」、塚本晋也は映画でもって自然と対峙しようとしているのか、困難な大きなテーマです。でも、観念的でなく、凄くリアル感はあった。♪『シネマ日記・ヴィタール』