森岡正博/西原克成(2004年6/15記)

21グラム (初回出荷限定価格) [DVD]内臓が生みだす心 (NHKブックス)
映画『21グラム』は、『ヴィタール』と全然違うのであろうか、森岡正博さんのレビュー「命をめぐる本能の戦い」(朝日新聞6/5・夕刊)を読んでいたら、是非観たい思いましたと旧ブログで書きましたが、DVD化されたのに、かって、ぼくは臓器移植に関してこんな拙レビューをbk1にアップしてました。

「彼の死亡記事を新聞で見つけたの。わたしが夢で見たとおりだった」。 バイク事故で死んだ青年(ティム)の心肺を移植された48歳のクレアは不思議な夢を見始める。小説ならば、かような物語は定番であろうが、これはクレア自身の体験に基づいた手記である。だが、私は手記である重苦しさを忘れて、不遜にも、推理とオカルトのエンターティメントとして、いつしか楽しんで読んでいた。もし、前提として、西原克成「内臓が生みだす心」を読んでいなければ、物語としては楽しんだけれど、事実としては眉に唾したであろうと思う。この本の引用から「記憶する心臓」を知ったのです。クレアの車のステッカーには「臓器を天国までもっていかないで。こちらの世界で必要とされていることは神様もご存知です」と書かれているらしい。勿論、臓器移植推進キャンペーンを張っているのだ。外科医達の「心臓はポンプに過ぎない」と心と身を切り離して考察すれば、私にしたところで、何ら悩みなく、単なる臓器として誰かに贈り物するに吝かではないが、クレアの場合、臓器に心が宿り、ドナーの記憶が刻み込まれていると信じた上で積極的に推進しているのだ。彼女はいわば、背後霊を背負い込んで生きる覚悟を許容する。その霊を彼女は胸深く、吸い込むのだが。そして、ドナーの家族達にも会い、家族の一員として受け入れられる。ティムの墓参りまでする。ティムとクレアは一体化し第三の人格を付与されて、作者(クレア)は生の旅を続ける。【至上の愛】のメタファーにしては出来すぎである。(後略)ー『記憶する心臓』bk1レビューよりー

ぼくがぼくであること」で、尾崎豊自死したとしたら、この映画『21g』で問題視されているのは、そんな死にたがった男(A)が神に見放されてか、神の意志で生き続け、サバイバルしてしまう運命の皮肉が一方であり、生き延びたくて臓器移植してしまったもう一人の男(B)がAによって殺された男(C)の臓器を貰ったがためか、Cの恋人と運命の出会いで、恋に落ち、CになってしまったBは復讐のため恋のため、Aを殺そうとする。だが、Aを追い詰めるが、Bは臓器移植までして延命してしまった己をAを目の前にして、自死という不条理な選択をしてしまう。
 まあ、『記憶する心臓』のクレアとは違った哲学を披露しているみたいですが、森岡さんのレビューを読んだ上でのぼくの感想であって、近々DVDを観て、ぼくなりにコメントします。参照:pipi姫さんが観ていらっしゃってシネマ日記にレビューをアップしてます。 『21g』、高い評価です。
http://wing.zero.ad.jp/hmasui/moppo/moppo-index.htm