♪鶴見俊輔『回想の人びと』

鶴見さんの友に対するオマージュを引用メモしました。

安田武:八月十五日になると丸坊主になり、集まって一緒に食事する。どのような神、どのような政治、思想かは、ここでは問われない。ただ食事のみ。この儀式は、十五年戦争の長さだけ続けて、そのあとは、ひとりが禿げたとういこともあって、坊主になる意味もなく会食のみで儀式は続けた。安田武は真剣に飯を食べ、酒を呑む人であった。食ったり呑んだりする間は他人の悪口を言ったり、政治を批判することもなかった。まずくなりますもんね…。湯河原小梅堂のきび餅が彼は好きだった。彼は日常生活に型を重んじた。
谷川雁:地域の中からくりひろげられる世界性が、彼の特色である。会うたびに、いつも威張っていた。だが、それを彼は自分の弱点とひそかに感じていたようだ。「僕から威張ることをとり去ってしまったら、何にも残らないんだよ」と私にではなく、ともに暮らした森崎和江に言っていたそうだ。
武谷三男:科学技術を問うとき、普通人の場からも考える視野をもちつづけた科学思想家だった。/めったにやりこめられない武谷三男が、自分から言い出して、あやまちを認めたことがある。/戦争が終わりのころ、武谷三男の家に、戦中獄死した布施杜生の妻が、家事手伝いとして同居していた。戦争が終わった知らせを聞いて、布施夫人は喜んだ、手作りのポスターを、新橋駅付近の電柱に貼ってくると言う。/獄中同志を救いだしに行こう。/武谷さんはこれをとめた。/あなたがしなくても、誰かがするだろう。まだ軍国主義の気分は街に残っているのだから、女がビラを貼るところを見つかったら何をされるかわからない。/しかし、今(それを私に話したときは戦後四十年たっていた)ふりかえってみると、そういうことをした人はいなかった。自分は、ただひとつの行動をとめたことになる。
◆本書は鶴見俊輔の交遊録であるが、ユーモアと敬意に満ちた友情の迸りを記述して読み手まで幸福な気持ちにさせてしまう。ブログにカキコ疲れした時、二十三人を追々引用メモするつもりです。本日はその一回目です。八十歳を超えた悪人は人を見るときの尺度は、この人は国民の中にいて自分一人の道を歩く人かどうかで判断する。(2004/06/02記・旧ブログ転載)
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