岡崎祥久から身体の文学

「風の旅人」の佐伯さんが僕の自慢ならない文学体験を思い起こさせるような刺激を与えてくれたので、過去にタイムスリップして<日常>っていうか、まあ、ぼくの理解では<身体性>とも被るのですが、養老孟司の著書で『身体の文学史』(新潮文庫)なんてあるから、あながち検討違いではないと思う。それで、つらつら考えるに、あ、懐かしや、岡崎武志さんのブログ岡崎祥久の名前をみつけました。岡崎氏の『秒速10センチの越冬』は90年代のプロレタリア文学と言われたみみたいですが、岡崎祥久は1997年に新潮新人賞を受賞しデビューして以来、最新刊の『独学魔法ノート』とコンスタントに出版を重ねていたんだとちょっぴり嬉しくなる。
『秒速10センチの越冬』はリアルタイムに読んでいて、現場を舞台にした汗の匂いのする観念的でない脱力した現代小説として感情移入できた珍しい作品でした。とても好感がもてたのです。でも、それ以降は読んでいない。純文学系は作品発表の機会も少ないないが、読者としてマニアティックに追いかけないかぎり、毎月文芸誌を読む習慣がないかぎり、いつしか忘れてしまう。
でも、<90年代のプロレタリア文学>ってちょっと、クサイ表現ですね、せめて<身体の文学>って命名しようかな、最近、恋愛小説を書きどんどん読者層が増えているみたいな吉田修一の男の主人公も現場で額に汗して働く人物造型している特徴があるような気がしますね。そんなところからか、『パークライフ』の身体性の稀薄さと違って、『長崎乱楽坂』は、なかにし礼『長崎ぶらぶら節』か、早坂暁『東京パラダイス』のエンターテイメント性に近いものを感じはしたが、中上健次『枯木灘』の路地の身体性を読み取るべきだったかもしれない。