倉橋由美子暗い旅

倉橋由美子の『聖少女』(新潮社 初版)、『スミヤキストQの冒険』(講談社 初版)を棚から出して処分しようと思ったらタイミングよく松岡正剛の千夜千冊続編で倉橋由美子をエントリーしている。松岡節に触れたら倉橋由美子を再読したくなりました。それで、リュックに入れての寄贈を思いとどまりました。

今日のあまたの現代小説、なかでも村上春樹吉本ばなな江国香織に代表され、それがくりかえし踏襲され、換骨奪胎され、稀釈もされている小説群の最初の母型は、倉橋由美子の『聖少女』にあったのではないかと、ぼくはひそかに思っている。
 しかし今夜は、そのことについては書かない。その程度のことなら、『聖少女』を読んでみればすぐわかるはずのことである。そのかわり、ぼく自身がずっと倉橋由美子を偏愛してきた理由をいくつかに絞って書いておく。

と松岡さんは冒頭、語っている。多和田葉子の『容疑者の夜行列車』について書きましたが、この二人称の小説を読んでいて凄く懐かしく既視感があったのは、僕が若い頃愛読した二人称小説『暗い旅』を数年前、又読み返した残像があったのでしょう。
多和田葉子倉橋由美子とを比較して論じたものを寡聞にして存じ上げませんが、観念小説というにはあまりにも身体に直接訴える“ぬめぬめ感”ですか、そんな質感がお二人の作品にはありますね。『暗い旅』は東海道新幹線っていう東京から京都という短い車中ですが、多和田葉子の夜行列車と同じ「あなた」で始る。両作品ともメタフィクションの側面があり、小説家の誕生のプロセスを読み取ることも出来る。
でも、そんな堅苦しいものではなく、得たいの知れない謎めいたエロティシズムとミステリアスな文体の横溢は読み手を先へ先へと引っ張ってくれる。松岡さんの倉橋由美子について論じているのを読むと、何故、多和田葉子に関心を持ったのかおぼろげに腑に落ちました。僕の中で倉橋由美子多和田葉子は繫がっていたのですね。
ちなみに『暗い旅』は新潮文庫で発刊されていましたが、絶版、古本屋でも見つからなかったのです。僕の友人のネットワークでも探してみたのですが、無理でした。そうなると、益々欲しくなります。それが、東京からこちらに引越ししたら、偶然、近くの古本屋のワゴンで見つけたのです。何と30円でした。
本もさることながら、この本にまつわるエピソードもミステリアスなのです。それは秘密。どちらにしろ、処分しようとした日に松岡正剛の千夜千冊にアップされるとは、僕の本棚に大切に死ぬまで並べて置きなさいっていうことでしょう。