小説の自由、分析の限界

 糸井重里のほぼ日刊イトイ新聞の記事「保坂和志さんの経験論」をぽまさんの紹介で読みました。宮台真司と対談したんですね、そこで、社会学者と小説家の立ち位置の違いが保坂さんらしい明晰な言葉で分析(保坂さんは分析は社会学者の仕事でしょうがないが、小説家は分析、トラウマ、恨み辛みを書いてはダメ!元気の源になるようなものを書かなくっちゃぁ、…)?してしまう。
 ワイドショー的な考え方を身につけてはダメなんだって、しかし、自分の頭で考えて、ワイドショー的でない考え方は一朝一夕ではムツカシイ。結構、時間のかかるものです。もし、教養が何であるかと問われれば、そうか、こんな見方があるんだと、気づかせてくれる知恵とか元気を発信させる人でしょうね、確かにそういう意味で岡本太郎棟方志功は教養人だと思う。詳細は日刊イトイ新聞・保坂和志さんの経験論で…。
 しかし、実作者と社会学者との違い、それは評論家との違いとも言ってもいいが、実作者ってやっぱし強い。勿論、実作者にも息苦しい作品を表現することが、芸術なんだと思っている人がいるみたいですが、そのような表現活動は社会学者、評論家にお任せすればいい。ふつうとはちがう考えを出すなんて、「自分はこっち」とその方向性で反復訓練しないと、身に付かない。僕にはその「自分はこっち」っていうものがあるだろうかと、悩みました。
 自由の問題は分析しても出口はない。そりゃあ、そうでしょう。書くことの歓びは、描くことの歓びは、奏することの歓びは、演じる歓びは、歌うことは、「自由」を手に入れる、そのことの歓びなのでしょう。
 今、森敦の養女であった森富子の『森敦との対話』を読み始めたのですが、面白い。笑えるエピソードが多いのですが、小説家の生き様の凄さに圧倒される。

「小島くんは、こう言うのですよ。ずーっとぼくだけの相談相手になってほしい、とね」
「ぼくだけの相談相手?どういう意味ですか」
 私にはこう聞こえる。「森さん、世に出ないで、生涯、ぼくだけの相談相手になって過ごしてほしい」と。(p28)

 今度、保坂和志×小島信夫の対談がありますね、ああ、聴きたいなぁ…。
オンライン書店ビーケーワン:森敦との対話小説の自由
【保板からコピペ】

 保坂和志小島信夫
『小説の自由』刊行記念(新潮社)特別対談
2005年7月12日(火)19:00〜21:00(開場18:30)
会場:青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山
定員:120名様
入場料:¥700(税込) 電話予約の上、当日精算
お問い合わせ・ご予約先:03−5485−5511
受付開始:6月20日(月)10:00〜
*今回、サイン会はございません。7月2日より青山ブックセンター本店にて
『小説の自由』の保坂和志さんサイン本の販売を予定しています。
売り切れ次第、販売終了となりますのであらかじめご了承ください。

富子は森敦の養女になるのですが、養子縁組届けには二人の証人が必要です。一人は小島信夫、二人目は古山高麗雄です。