正高信男

 後藤和智さんは、進歩的文化人と言われている人たちの『俗流若者論』のテクストを検証しながら、批評する元気な若者でその論理的な追跡の仕方は凄く説得力がある。今回は過去にもよく取り上げいた正高信男で、ちょうど、えこまさんのブログであまりのことに噴出してしまったという面白いエントリーがあったのでクリックすると、斎藤美奈子の『誤読日記』より正高信男氏著「ケイタイを持ったサル」本に関してでした。実はこの本は読んでいないのです。両氏のコメントを読むと読む気が失せます。
 最新刊『考えないヒト』(中公新書)も上梓されましたが、僕の基本は読みたい本しか読まないだから、くだらないだろうと思ったら無視するだけです。でも、後藤さんは正面からぶっつかる。そこは感心してしまう。この正高信男のテクストは緻密で膨大。そんな僕のブログを訪問して下さる人たちに評判の悪い正高信男ですが、雑誌『風の旅人 14号』に「ことばの起源(前編)―言語遺伝子の発見―」の連載記事を書いています。これは面白かったですよ。若者のことについて一言も書いていません。言葉に関する現在の研究成果を謙虚に抑制のきいた文体でわかり易く書いている。だから、僕はお二人が触れた正高信男と同名異人かと調べたぐらいです。
 『風の旅人』の編集方針の一つに執筆者の履歴を出来るだけ書かない、書けば肩書きなど表層の部分で読者は執筆者に対してある種の先入観を持ってしまう。それを回避するために最小限の履歴しか掲載しないのです。まあ、そんなことでひょっとして別人かなと、思ったのでした。間違いなく正高信男でした。どうやら、ジャンルを越えた発言をすると、トンチンカンなことになる、本人はそのことに気がつかない。逆に周りが煽る。そんな構図が透けてみえるような気がします。でも、上記の本は読んでいないので、これ以上は書かない方がいいですね。ある種、分限を知って禁欲的になることはとても大切です。『風の旅人 14号』の正高信男の本文はそんな抑制のきいた一文です。問題は編集者がどこを向いているのかが大きな分岐点になるのではないか、上記の斎藤美奈子さんの『誤読日記』でちくま新書を取り上げてそんな編集方針を批評しているみたいですね。
 参照:『風の旅人』編集だより :風の旅人15号・16号 『風の旅人』編集だより :肯定の批評