センセィの診察色々

 循環器と泌尿器科の外来で定期的に病院通いをしていると、担当医の性格の違いが患者の僕に多分に影響しますね。循環器の先生はクソ真面目っていうか、緊張を強いるのです。先日も採血でどうせ同じ血液を採取するので、泌尿器科の先生にPSA検査の採血をするなら、ついでに循環器科のチェック項目をデータに繰り込みましょうと、提案して合理的に処置したのです。そして、大体、一週間後に循環器科の先生の診断を受けたとき、さて、前回のデータを端末でクリックしようとしたときに、「あ!先生、この間、泌尿器科の方でついでに採血して循環器の項目も検査してもらいました。その方がコスト面でも合理的ですからね…」、まあ、そんなやりとりで、先生は「む!」としました。先生の予定ではその日に採血をするつもりだったのに、僕の判断で先にやってしまったからです。僕の判断って言っても泌尿器科の先生の許可をもらっているから、循環器科の先生が「勝手にやってもらっては困る」と言ったって、「それは内部の問題でしょう」、「僕は好いことだと思い、泌尿器科の先生に提案したのであって、患者の僕に言ってもらっては困る」って言うわけです。循環器の先生はいい意味で若いけれど、冗談を言いたくなる先生で、脱力系です。循環器科の先生は冗談を言えないのです。どちらにしろ、縦割り行政ですね、だからムダが生じる。一回の採血で検査項目を横割りで先生同士の了解で行うシステムを作れば随分医療費の削減にもなると思います。
 今、読んでいる内田樹池上六朗の対談集『身体の言い分』は面白い。池上さんは世界中を航海した船乗りさんで、航海士として身体に刻んだ身体の振る舞いを基本に金属熱処理、金型製造など、技術者として様々な商品開発もし、治療の道に入ったのです。著書に『三軸修正法 自然法則がカラダを変える!』という本があります。

 池上 わたしが診たいちばん若い患者さんは、生後二時間の赤ちゃんなんですよ。元気に生まれて来たんだけれど、手足が曲がったままだったんですね。で、ここかな、と思ってちょっとさわったらぴゅっと治った。連れてきたお母さんもえらいと思ったけどね。
 内田 器質疾患みたいなものは、生まれてすぐの赤ちゃんを見てわかるというのは無理ですね。おそらくその時池上先生が見たのは、赤ちゃんと母親の関係とか、母親が人に口をきく時の言葉の使い方とかで、そういうところから瞬間的に、池上先生はシステムの相同性というかな、こんなシステムをもっていいる人だったら、たぶん体にこういうシステムの異常があって、というように考えて、だったらここ、という、そういう推論をされているんじゃないでしょうか。企業における品質管理がそうなんですけど、最終品の品質について一つ一つ精査することはできない。だから製品の品質をどうやって管理しているのか、その管理工程の機能をチェックする。アウトカムではなくプロセスを見るわけです。
 人間の体だって部分を見たら、六十兆からの細胞があるわけで、六十兆をぜんぶ精査するのは不可能です。人間の病って、どちらかというと器質的な問題よりもシステム不調なわけでしょう。いろんなファクターが、たとえば循環系のファクターと消火系のファクターに不眠症がからまって病気になるとか。次元の違うところのものが、干渉し合って、症状として出てくる。だからその中の、ある一個のファクターを消すだけで、症状が劇的に改善することもあるでしょう。
 見なければならないのは、個々の細胞の具体的なダメージではなくて、プロセスがうまく機能していないのはどの点かということですから。さっきの例で言えば、どういう挨拶をしてどんな表情で、どんな歩き方で部屋に入ってきたのかを見るだけで、その人が自分の体をどのようにコントロールしているのかがわかっちゃうということだってありうるわけで。その人自身の無意識の身体操作から体のプロセスもわかってきて、こんな口のきき方をするやつだから、この辺りがおかしいんじゃないの(笑)、というね。(p120) 

 内田先生は治療の分野まで裾野を拡げましたね。この本はすごく説得力があるのです。明日からでも実践したいことのヒントがありました。別に「医療・健康」の実用書ではないのに、本屋の店頭で実用書の棚に置いてもいいかもしれない。引用の文章も脱力した文体でしょう。