顔のない舞城王太郎

pipiさんところで、二年前に盛り上がった『顔文一致』のスレを思い出し、過去ログを探し当てアップしてくれました。重複するかもしれませんが、僕もこちらで大切にデータ保存したいので、そのまんまコピペします。注:【】内は今日の日付の僕のコメントです。

●ソネアキラ(708) 題名:顔文一致 投稿日 : 2003年9月16日【ソネさんが言い出しっぺだったんだ】
作家の容貌の話ですが、その昔、野坂昭如が「顔文一致」と称して五木寛之を槍玉にあげていたことを思い出しました。
まあ確かにスポーツ選手も、相撲取りも、作家も、哲学者も、政治家も、ビジュアル系の方がトク(?)かもしれません。
鈴木晶先生は、ダンス&バレーフリークのブトー派教授。(内田先生はブドー派教授)。
ジジェクの本を何冊か、訳されていますね。こないだ読んだジジェク本では、「エイリアン」をエイズに譬えていました。
内田先生の映画評論のひな型といえなくもないでしょう。
先日のドラマ「血脈」をビデオで見ていたら、緒形拳扮する佐藤紅緑がちっとも作家に見えませんでした。
奥方を演じる宮澤りえちゃんの堂々たる女優っぷりにびっくりしました。
【舞踏と武道が一緒になれば田中ミン(さんずいの民です)か】

Res:pipi(810) 題名:ご無沙汰でした 投稿日 : 2003年9月17日【今年の一人読書会で眼球譚にお目にかかりましたね】
「顔文一致」とは卓抜な発想!これは知りませんでした。作家も顔で書くのか?! うーん、ちっと研究してみる価値ありかもしれません。
ソネさんの「自動筆記」、最新号はバタイユですか。バタイユは読んだことがありません。気持ち悪そうだし。眼球譚は有名なので、内容をどこかで引用されているのを見た覚えがあります。
鈴木先生もチェックするとなるとカバー範囲がますます広がって大変でございます。でも読んでみたいですね。

Res:葉っぱ64(835) 題名:顔文不一致 投稿日 : 2003年9月17日【でも、最近の村上春樹さんは顔文一致に近づきましたね、もう一人の村上龍は文句なく顔文一致】
思い浮べると、漱石でも、ヘミングウエー、フルトヴェングラー太宰治芥川龍之介岡本かの子中上健次、辻さん、三谷さんと、東西南北、故人、現存を問わず、みなさん、顔文一致で、大江さんの顔で辻さんのような恋愛小説が書かれたら、やっぱし、困る。不思議と言えば不思議。馴染んでしまうのか。漱石以外の顔は想像できない。その例外中の例外が村上春樹かもしれない。彼の小説は殆ど、リアルタイムで読んでいるのだが、いまだに、漱石のように、顔文一致で読むことが出来ない。
野坂昭如の「顔文一致」は聞いた気がしますが、彼自身も顔文一致ではないか。ただ、政治家になったときは別の顔になりましたね。多分、彼が五木寛之を槍玉にあげたのは先に五木寛之の顔があって、それに合わせた筆遣いをしたとの批評ではないかと思います。「正統な顔文一致」は、先に文体があって、後に顔が重なる。顔が出来上ってくる。それが、逆転していると、野坂昭如五木寛之を揶揄したのでしょうね。
村上春樹の謎は、その両方の例に当てはまらないと、思うのです。いまだに、ぼくにとって、顔文不一致が継続しているのです。他に「顔文不一致」の例を思い浮かべる事が出来ない。いくら、考えても、春樹さんしか、思い浮かんでこない。よく似ていると言われる保坂和志は、顔文一致です。違和感がない。
「文壇アイドル論」の斎藤美奈子さんは、見事な村上春樹論を書いてくれたので、この疑問、顔文不一致=村上春樹はどうして?と訊いてみたいものです。
そのような特異性に村上春樹の秘密があると思うが、どうしても、分かりません。

Res:pipi(242) 題名:そーいえば 投稿日 : 2003年9月17日
高樹のぶ子は顔文一致だと思います。彼女、もう60歳近いのにきれいですねぇ。【僕ももう60歳、同年?】
ちなみにぴぴは顔文一致でしょ〜か??

Res:葉っぱ64(423) 題名:勿論、 投稿日 : 2003年9月17日
ぴぴさんは、古典的な顔文一致です。
【この古典的なっていう意味がわからないですね、でも誰かに訊くわけにはいかない、僕が書いたのです。覚えがありません、無責任。】
ぼくが、村上春樹の顔文不一致の事が気になったのは「オレも例外に入る顔文不一致」ではないかと、思うからです。
そんな違和感は多少なりとも、自分の中に抱え込んでいるが、外部から見ると、顔文一致に見える、馴染む、そんなものではないでしょうか。
しかし、春樹さんは内部からも外部からも、顔文不一致ではないかと、思うのです。当然、ぴぴさんも内部にズレを抱え込んでいると思う。
でも、表現として顕れるものが顔文一致であることは大切なことなのでしょう。ぼくは破綻好みがあるのです。だから、顔文不一致が気になるのかも。
【ここのレスは分かり難いですね、】

Res:さわこ(596) 題名:ロマンポルノ 投稿日 : 2003年9月17日
っていっても日活じゃないですよ(白川和子さん!)【懐かしい!】
金子国義が表紙絵を描いていたのは富士見ロマン文庫だったか、フランス書院文庫だったかと……。澁澤読んでいるうちにそっちに流れちゃったんですね〜友達と。【そっちってどっち?】
「赭い髪の女」がいいとうちのパパはいっておりますが(知らないって)。【原作はが中上健次でしたね】
顔文一致といえば、いまや声楽家池田理代子はいかが?ロココ
【しかし、ぴぴさんからさわこさんまでかって少女だった女の人たちの池田理代子に対する想いはすごいものがありますね】

Res:pipi(778) 題名:顔声不一致というのもありか 投稿日 : 2003年9月17日
ぴぴは古典的顔文一致?わたしは自分の文体がよくわからないのです。【ごめんなさい、古典的ってナンダロウ】
>さわこさん、
 池田理代子は顔文不一致だと昔は思いましたが、今はけっこう一致しているような気がします。
 ところで顔声不一致の典型は山下達郎か?!!

●葉っぱ64(825) 題名:そうか、 投稿日 : 2003年9月17日【顔声不一致はネタが一杯ありそう】
顔声不一致は、すぐに出てきますね、山下達郎は勿論、槙原敬之さだまさし?…と、材料には事欠かない。最近、電話セールスが多いですよね。八十五歳の老母はそのセールスのヘタさかげんに、元電話交換手(昭和初期)していた、又は詩吟で鍛えた声に自信があるのか、私ならもっと、上手にやる。やとってくれないかなと、ほざいていた。うん、これって、意外と良いアイデアかも。
顔声不一致は、むしろ、あたりまえ。

空谷(487) 題名:空谷のシネマな一日 投稿日 : 2003年9月18日
 顔文一致の究極の三人は、芥川と太宰と中上健次だと思うな。強烈でしょ。【新潮社の販促で腕時計を景品に使ったでしょう。そのデザインに芥川、太宰、川端、カフカが確か使われていましたね、お札だとか、コインだとかに使われる肖像は顔文一致ですね】

名前:葉っぱ64 日付:11月26日(水) 22時36分
もう、消えてなくなりましたが、顔文一致で盛り上がりましたですよね、図書館で福田和也の最新刊(10/20)『悪の読書術』(講談現代新書)があったので、捲っていると、≪当然ながら、現代の書き手の中にも、美男子もいれば不細工もいます。私などは後者の代表選手ということになるのでしょう…顔と文章が一致しているかどうかは、少し考えさせてくだい。≫
と福田らしからぬ殊勝な事を書いている。そして不細工な話をしても心楽しくならないので、もう片方の話をすると、島田雅彦沢木耕太郎宮本輝に言及している。

92.Re: 顔文一致
名前:pipi姫 日付:11月26日(水) 22時50分
pipi的にはやっぱり島田雅彦ですね。宮本輝も捨てがたい。え? もちろん、顔の話ですよ、顔の。でもわたしの大好きな大江健三郎はあの顔だし…作品を愛することと作家その人に恋することは別なのです。島田雅彦の場合は作品人物一致恋愛対象かなぁ。ベートーベンは文句なく顔文一致。

名前:葉っぱ64 日付:12月8日(月) 12時19分
ぴぴさんには言ったかもしれませんが、『本とコンピュータ』の最新号が献本されました。このサイトで小熊英二のビジュアル性について、「顔文一致」で盛り上がりましたですよね。
顔文不一致は誰だとか、もう、過去ログは消えましたが…。とにかく、小熊英二の顔と武田徹の記事に惹かれて雑誌を購入し、読書カードを出したのです。何を書いたのか想い出さなかったが、
出版社から連絡で『本コ』談話室に掲載しますとのこと、???。それで、献本されたのですが、今、確認すると、小熊英二に触れて、その他、現代思想家で表紙にふさわしいビジュアル系として、一に森岡正博、二に大澤真幸、三、四がなくて五、が東浩紀とくだらないことを書いている。ちゃんと、実名で表記されているので、ちょっぴり、困りました。まあ、興味のある方は図書館なり本屋の店頭で座り読み、立ち読みして下さい。

138.Re: 佐渡裕も顔音一致。かな?
名前:amako 日付:12月8日(月) 20時14分
一万人の第九、楽しませていただきました^^。痛む頭とのどをひきずりつつ、参加してよかったです。(おかげで今日は家事休養日です^^;)佐渡さんは、思った以上に可愛げのある方でした。
ありあまる情熱はもっているけれど、情熱だけに訴えない知性も持ち合わせた「関西人」、歌う側をその気にさせるのが上手い!

名前:空谷 日付:12月8日(月) 21時4分
amakoさん、ぴぴ姫お疲れさま。そしてみなさん、こんにしわす(師走)。
顔文一致ですか、大澤真幸は天真爛漫な顔をしている。自分をユニークだと信じている。オーソドックスではないが、それだけユニークだと思っているんじゃないでしょうか。柄谷行人はその点、オーソドックスを極めた感がある。彼の現れた後に、自分になにかいうべきことがあるだろうかと、ずっと悩んできました。柄谷行人の強烈な吸引力からやっと脱出できたと思っています。長かった・・・
顔文一致の極致はベンヤミンだと思う。ロイドメガネに口ひげ、生え際の後退した、賢そうなおでこ。まさに美しいインテリである。ベンヤミン著作集(晶文社)には各巻の裏表紙にきれいな写真が配してある。私は20代はずっと彼に夢中でした。

ヒトラー〜最期の12日間〜』のブルーノ・ガンツヒトラーよりヒトラーって感じでしたね。『わが闘争』は顔文一致なのでしょうか、チェ・ゲバラも顔文一致、そう言えば小泉純一郎は良くも悪くも顔文一致ですね。岡田さんは顔文一致でなかった、それが敗因の一つかも。顔文一致ってある種キャラ立ちが要請されるのでしょうね。ホリエモンも顔文一致。俳優のミスキャストは顔文不一致ですかね…。さて、「メゾン・ド・ヒミコ」のオダギリジョーはどっちか、ぴぴさん、確かめて下さい。
でも、日本文学史上で今日的な問題は東浩紀が拒否反応を示す作家主義(文体)から軽やかに飛翔する覆面作家舞城王太郎のように顔文一致なんて端から問題視しないメタフィクションが考察されるべきなんでしょうね、といってもメタフィクションなる概念ももう一つよくわからない。*1

*1:阿部和重対談集』(「東浩紀&法月綸太郎ー形式と分身とメタフィクション〜記号化されたリアル〜」(p253)